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【動画】朝ドラ「虎に翼」で注目 沖縄で女性初法曹は大城光代さん 最初の法服は「男性用」 主人公モデル・三淵嘉子さんとのエピソードも


【動画】朝ドラ「虎に翼」で注目 沖縄で女性初法曹は大城光代さん 最初の法服は「男性用」 主人公モデル・三淵嘉子さんとのエピソードも 「最初は男性用の法服を着用して出廷していた」と話す大城光代さん=12日、那覇市内の自宅
この記事を書いた人 Avatar photo 慶田城 七瀬

 NHK連続テレビ小説「虎に翼」が23日から最終週を迎える。主人公のモデルは日本初の女性弁護士の1人で判事になった三淵嘉子さん(1914ー84年)で、朝ドラを機に話題になっている。沖縄女性初の弁護士・判事で法曹界の先駆者は大城光代さん(91)だ。58年に沖縄女性初の弁護士、68年に判事になった。戦前・戦後、沖縄の日本復帰の世替わりを乗り越えて、男性が多くを占める法曹界で活躍した。大城さんに、三淵さんとの思い出のエピソードを聞いた。

 大城さんは32年に台湾で生まれ、戦後は座間味島や石垣島で暮らした。父は立法院議員や衆院議員を務めた元社大党委員長の故安里積千代さん(03~86年)。父の背中を追いかけて弁護士を志した。八重山高校を卒業し米統治下の沖縄から上京し日大法学部で法律の勉強に励んだ。

沖縄女性初の弁護士となった大城光代さん(当時安里光代)を取り上げた「オキナワグラフ」創刊号の記事(回顧録「世の光 地の塩」より)

 「沖縄の三淵嘉子」と呼ばれたこともある大城さんは、三淵さんが裁判官を務めた民事法廷を傍聴したことがある。56年(昭和31年)に大学を卒業し司法試験の勉強をしながら東京の法律事務所で事務員として働いていた時だった。

「女性でこうやって堂々とやってる人がいるんだと本当にびっくりした」。大城さんには、訴訟を指揮する三淵さんの姿はまぶしく映り「頑張って試験に通らなければ」と決意した。

 三淵さんとは泡盛を酌み交わしたこともある。判事として高裁那覇支部に配属されていた74年ごろ、来県した三淵さんと夕食を共にした。三淵さんは「お酒が飲めるのは大きな強みなのよ」と語っていた。大城さん自身も周囲から「仕事もお酒も男並み」と言われた経験があった。「男性と対等に付き合えることは当時は褒め言葉だった。(三淵さんは)先駆者として苦い酒も多かっただろうと思った」と振り返った。

「仕事もお酒も男並み」のエピソードについて、【動画】↓↓で詳しく語っています。(動画下にさらに記事続く)

三淵嘉子さんとのエピソードを語る大城光代さん(左)=12日、那覇市内

 大城さんは、自身も身を置いた法曹界が舞台ということでNHK連続テレビ小説「虎に翼」を「気になって観ている」と話した。朝ドラを観るのは「『おしん』(83年放映)以来」という。

大城光代さん=12日、那覇市内の自宅

 ドラマの人気で法曹界に注目が集まっていることには「普段の生活で法律の言葉や裁判は見る機会はないけど、面白いからね。『虎に翼』のおかげですね」と喜んだ。

 大城さんは、三淵さんら先輩が努力して切り開いた道を次の世代につなげようと、約30年の裁判官生活を定年まで勤め上げた。

 大城さんが弁護士になった前年の57年に男女平等をうたう新民法が日本本土より10年遅れて沖縄で施行された。当時「女性の権利を守るために弁護士になった」と報道されたが、日本国憲法で法の下の平等を学び「男女の差はない」と選んだ職業で、女性だからと取り上げられることに反発もあった。

 それでも、女性の地位向上を目指して、沖縄婦人連合会の宮里悦さん(1905―94)らと新民法の普及のため県内各地を講演会と相談会でまわった。大城さんのところには女性から身の上相談が相次ぎ「女性のほうが話しやすいと言ってくれたけど、若くて人生経験もないし相談されて困ってね」。台湾で育ち沖縄の慣習や家制度になじみがなく、沖縄の女性たちが置かれた現状を知る機会だった。

 その後弁護士から裁判官の道に進んだ。大城さんが裁判官になった頃は女性が少なかったため法廷で着る「法服」も男性用しかなく、男性用のSサイズを着ていた。女性の裁判官が増えて「男性用は着づらい」との声が上がり、女性用ができたという。

大城光代さんが沖縄女性で初めて那覇地方裁判所長に就任したことを紹介した琉球新報の記事(1991年1月5日付け本紙より)

 沖縄女性初の弁護士、判事、裁判所長。自分の好きな道を一生懸命に進んできた大城さんにいくつもの「女性初」がついてまわったが、「やってみたら誰もいなかったということ。女性初なんて結果ですよ」と振り返った。

 女性の社会進出が進んだ今日でも、さまざまな分野で「女性初」が報じられる。男性社会に飛び込んでいく女性たちへ「女性も男性も関係なく自分の好きな道をやりたいと思ったことはやり通してほしい。もちろん一足飛びではなくて、地道に努力することが大事。たとえ失敗しても無駄にはならないから」とエールを送った。(慶田城七瀬)

大城さんを取り上げた記事は、22日付小中学生新聞「りゅうPON!」のてぃーだあみ共同代表の山城彰子さん執筆の「琉球沖縄HERSTORY」でも掲載。