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銃後に響く軍歌歌う 大城勇一さん(91)・宜野湾市 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>2


銃後に響く軍歌歌う 大城勇一さん(91)・宜野湾市 戦世の記憶<読者と刻む沖縄戦>2 「愛馬進軍歌」作曲者の新城正一さんと宮良長包さんの交流を伝える琉球新報
この記事を書いた人 アバター画像 琉球新報社

 南風原村(現南風原町)で生まれ育った大城勇一さん(91)=宜野湾市=は1940年、南風原尋常高等小学校に入学します。「国民学校令」によって翌年には校名は南風原国民学校に変わります。

 小学校は戦時体制に応じた教育機関となります。「学校は軍国教育ばかり。うんと軍歌も歌いました」と大城さんは振り返ります。

 大城さんは当時の軍歌を覚えています。その一つが「愛馬進軍歌」です。

 「国を出てから幾月ぞ/共に死ぬ気でこの馬と」という歌詞を口ずさみ、「軍歌はみんな勇ましいですよ」と語ります。

 「愛馬進軍歌」が生まれたのは38年。作曲者の新城正一さんは恩納村の出身で、沖縄建師範学校で学び、「えんどうの花」で知られる音楽家の宮良長包さんと出会います。この歌は陸軍省の公募企画で生まれました。福岡県小倉市で教員をしていた新城さんの作品が一等当選したのです。

 39年4月8日付の琉球新報に載った「栄冠彩る師弟愛 愛馬進軍歌の作曲者に寄す」という見出しの記事で新城さんと宮良さんの交流を紹介しています。

 記事は「国を出てから幾月ぞ…と軍馬讃えたメロディは銃後国民の声となって全国津々浦々まで力強く轟き渡っている」と伝えます。37年7月、日中戦争が始まり、県民も兵士として中国大陸に渡りました。沖縄、そして日本が「銃後」になったのです。