宜野湾の郷友会、「神山誌」を発刊 500ページに変遷記録


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
500ページを超える「神山誌」を発刊した字神山郷友会のメンバー=宜野湾市の字神山郷友会事務所

 【宜野湾】宜野湾市の字神山郷友会(山城保会長)はこのほど、「神山誌」を発刊した。戦前からの衣食住の様子や、文化、娯楽、戦後の復興の姿など、神山が歩んできた歴史を約500ページにわたって細かくまとめた。会員ら約90人による寄稿文やかつてをしのばせる写真も多く、地域住民らが「親しめる字誌」として完成させた。

 神山集落は戦後間もなく、大部分が軍用地となり、現在も普天間飛行場内に接収されたままだ。第2章の「生活と暮らし(戦前)」では、サトウキビをはじめ、農業が盛んで家畜も多かった集落の様子が描かれている。
 1990年代に入り、「戦前を知っている先輩が健在のうちに、神山の記録を残してほしい」などとの声が増えたことを受け、郷友会は2004年に神山誌編纂(へんさん)委員会を発足。記念誌的な字誌ではなく「アンヤタン、カンヤタン」(ああだった、こうだった)などと昔を振り返られる「親しめる字誌」を目指し、聞き取りに力を入れ寄稿文も多数集めた。
 沖縄戦に関する証言も多く掲載。神山集落では共同井戸や御嶽などの集落の生活基盤が壊滅してしまったが、住民は戦場を逃げ回らずに集落内のガマでじっとしていたため、多くが生き延びたという。
 住民らが暮らしたかつての屋敷跡や石垣などは、今も一部は基地内に残っているという。
 編纂委員会の佐喜眞光雄委員長(65)は「時間とともに、記憶や集落の形も消えてゆく。昔からの生活の様子や沖縄戦、そして戦後何もない中たくましく生きてきた経験を残した。未来に向けた力になってほしい」と語った。