コラム「南風」 人生の師


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 どんなに学んでもこれで十分ということはない。私は斎藤先生の保育を学ぶ傍ら、先進国の保育を見て回った。フランス、イタリア、ドイツ、スイス、オランダ、北欧3国、オーストリア、英国、カナダ、ハンガリー。ルソーの「エミール」を学び、シュタイナー学校やレッジョ・エミリアを視察し、その思想や環境を学んだ。

 そして世界の幼児教育は3歳からだが、斎藤先生はそれ以前の0歳からの保育がいかに大切かを提唱し、重度の脳損傷や発達遅滞、自閉症児等の保育を通してどの子も育つことを実践してみせた、世界でも稀有(けう)な保育者であることをあらためて知った。
 斎藤先生は多くの著書と映像を私たちに遺(のこ)してくれた。が、じかに薫陶を受け、心に刻んだ名言も多い。
 「畑がきれいな年と荒れている年とは、子どもの発達に違いがある。畑を耕すことは心を耕すこと」「子どもというのは何かを早く教え込んでできるというものではない。乳幼児期は五感を使った心身の土台づくりこそが重要で、知識はその上に積みあげられるもの。幼児期に必要なのは薄着裸足で元気に木登りをしたり、走り回ったり、泳いだり、動物と触れあったりすること。何が子どもにとって必要で、何が余計なものか親(大人)が学んで理解しないといけない。親の賢さが子育てには出てくる」「どんな子どもにも、どのような時も、笑顔を向け、褒めて育てる、待ってあげられる保育を」等々。
 子どもの置かれている環境をよくするためには時間も労力も、なけなしの財産すら惜しまない人だった。
 「斎藤公子を超える保育をしないと」と、姉妹園の園長たちに託し5年前に旅立った。
 困難に直面した時ふっと思う。(こんな時、斎藤先生ならどうしただろう)と。すると不思議に勇気が湧いてくる…。
(仲原りつ子、あおぞら保育園理事長・園長)