県出身アーティストのCoccoが昨年10月、約4年ぶりのアルバム「プランC」を発表した。発表に先立ち1月と9月には初の舞台「ジルゼの事情」で主演を務め、精力的に活動している。新アルバムに込めた思いや舞台の魅力などについて聞いた。
頭の中の音、形に
―アルバムのきっかけは。
「社交ダンスがしたくて幼なじみに『ペアを組んで』って言うと嫌がられて。『願いごとをかなえるから』と説得したら『根岸(孝旨)さんプロデュースの曲が聞きたい』と言うので、『たぶんチャチャチャ』をレコーディングした。そのときはアルバム製作は決まってなくて、『もしダンスやらないならこの場でCDを破棄します。そしたらどれだけのファンが悲しむんだろうね』って脅した。それから、同級生でもあるダンスの先生にあげた『Snowing』もできて、アルバムをまとめた」
「人に歌をあげることは多い。(世に出ず)あげた人だけのものになっている歌もある。頭の中で鳴っている音を形にできるのは気持ちいい。でもライブはつらい。コントロールが利かない。自分が海の中にいるのか人の前にいるのか(分からない)。覚えてないことが多すぎて疲れる」
―ライブの予定は。
「アルバムを作っているとき、『絶対やらない』って言ったもん(笑)。好き勝手なことばかりやってるのに応援してくれるファンのために、『アルバムは作らなきゃ』という思いがあって。ライブに向かうのはまだ時間がかかるかもしれないけど、歌はいっぱいあったし、届けたいものはあった。本当に聞きたいと待ってくれている人に『元気だから大丈夫だよ。ありがとう』というのが届けば、それ(アルバム製作)が一番いい形だと思った」
芸名は「見栄フジ子」
―「プランC」とは。
「舞台とレコーディングが同じ時期だった。『見栄フジ子』という芸名を付けていたから『アルバムタイトルは見栄フジ子』って言ったら不評で、『プランAが通らないなら何でもいいよ』ってプランCになった。もし今10代でこのアルバムにデビューがかかっていたら『見栄フジ子じゃないならデビューしなくていい』って言ったはず。35歳を超えると、いろんな人がいて、いろんな考えがあって、自分より自分を見ている人がいる。許容範囲、視野が広がる。だから生きていける。針の穴を通すみたいな生き方は死んでしまう。10代のときは30歳になるのも考えられなかった」
芝居は洋服だんす
―なぜ舞台に引かれるのか。
「(祖父真喜志康忠の)DNAでしょうね(笑)。デビューするとき、当時のレコード会社のディレクターから『Coccoは女優になるよ』って言われた。そのときは『ないよ』って思ったけど。芝居は自分が洋服だんすみたいに、どこに何が入ってるのか分かっていて『こういうのがいい』って出せる。たんすから服を選んで出す感じが面白い。歌は選べない」
―米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設を題材にした仲村颯悟(りゅうご)監督の映画「人魚に会える日。」に出演する。
「颯悟はまだ10代で諦めちゃいけない世代だから、その子が100%でやりたいことは力にならないといけないと思う。まだプランAで生きている世代だから、そのプランAをかなえたい。それが今の自分にできることだと思う。颯悟がそれを撮りたいと言ったのはすごくうれしかった」(聞き手・伊佐尚記)