沖縄の鉄道再建、米が計画 48年公文書で着工打診


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クレイグ軍政府副長官が新規官営事業の開始申請に対して志喜屋知事に回答した文書。四角で囲んだ部分で鉄道復旧に触れている=県公文書館提供

 県営鉄道(軽便鉄道)が沖縄戦で壊滅した終戦直後、米国軍政府が県内の鉄道復旧に向けて資材の獲得に奔走していたことが軍政府の1948年作成の文書から明らかになった。文書は県公文書館に収蔵されている。

当時の志喜屋孝信・沖縄民政府知事に資材獲得に備えて地上工事の着手も要請している。文書の存在で当時、米国軍政府と沖縄民政府の双方が鉄道の必要性で一致していたことが分かる。しかし実際には鉄道は復旧されることはなく、沖縄は車社会に突入した。鉄道復旧が実現していれば、現在の県内交通体系の姿が変わっていた可能性もある。
 文書はウィリアム・H・クレイグ軍政府副長官が新規官営事業の開始申請に対して志喜屋知事に回答した文書で、日付は48年1月10日付。文書や当時発行されていた琉球新報の前身「うるま新報」の報道などによると、志喜屋知事は47年11月24日にクレイグ副長官を訪ね、セメント工場の設立などとともに鉄道敷設を陳情した。志喜屋知事は「自動車のみによる輸送は難しい。戦前は鉄道は黒字であった」と実現を迫った。
 これに対し、クレイグ副長官は文書で「沖縄本島の運輸機関の欠乏は深刻で、軍政府も鉄道再建に必要な資材を獲得する特別な努力を続けている」と建設に向けて前向きであることを表明していた。一方、「本国や太平洋全域に照会したが資材獲得に成功していない。48年度は予算から漏れた」と苦しい現状も報告した。
 その上で「当方の49年度の計画書には再編入した。今後もこの重要事業の資材を獲得すべく努力を続けるつもりで、できるだけ早く鉄道が復旧することを希望している」と意気込みを示し、志喜屋知事に「資材を受け取るまでは必要な地上工事をしてもらいたい」と着工を打診していた。
 その後、軍政府がどのような対応を取ったのかは不明だが、鉄道は建設されないまま現在に至った。その結果、沖縄は現代まで慢性的な渋滞に悩まされることになった。県は2020年3月ごろに那覇―名護を1時間以内で結ぶ鉄軌道の着工を目指しているが、予算面での課題も多い。
 沖縄の戦後史を研究している沖縄国際大の鳥山淳教授は「沖縄に対する米国の経済援助はこの文書が出された48年以降しばらくは潤沢に支出されたので、予算面での実現性はあった」と指摘した。「この文書の時点までは軍政府が鉄道を復旧させようとしていたことが確認できる。それ以後については推測だが、沖縄の基地を長期的に使用する政策が固まってからは、住民が利用する鉄道よりも、米軍が使用する道路整備が優先されたのだろう」としている。(中里顕)