74歳、鏡が丘で学ぶ 浦添市の奥平秀夫さん


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担任の玉城聖也さん(左)の問いかけにタブレット端末を触って意思表示する奥平秀夫さん=6月22日、浦添市の鏡が丘特別支援学校浦添分校

 重度障がいのため義務教育を受けられなかった奥平(おくだいら)秀夫さん(74)が、浦添市の県立鏡が丘特別支援学校浦添分校の中等部に通っている。2012年に70歳で小学部に編入し、現在は中等部の3年生。

県教育委員会によると、70歳での特支校編入は県内最高齢。「学校へ行きたい」という奥平さんの希望を受けて手続に奔走し、学校行事には付き添う妹の佐藤ヒサ子さん(72)=東京都=は「人は何歳からでも学ぶことができる。できれば高校にも通わせてあげたい」と語る。
 障がい児への教育が義務化されたのは36年前の1979年。それまで多くの重度障がい児は学校教育法による「就学免除・猶予」を受け、教育を受ける権利を事実上奪われてきた。奥平さんも障がいを理由に就学免除を受けた一人だ。
 台湾で生まれ宮古島で育った。肢体不自由児の教育環境が不十分だった当時は学校に通うことができず、家業の砂利業を手伝った。
 父親が亡くなる20歳ごろまでの約7年間、外鍵の付いた小屋に閉じ込められた。ヒサ子さんが食事を持って小屋に入ると、コンクリートの壁に頭を何度も打ち付け、血を流していたこともあった。
 浦添市の施設に入所後、母の墓参りで宮古に帰郷した2011年、ほとんど言葉を発したことのなかった秀夫さんがたどたどしい声で言った。「学校へ行きたい」
 ヒサ子さんは県教育委員会に何度も通った。厚生労働省や文部科学省との調整を経て、12年の就学支援委員会で小学6年の3学期への編入が決まった。平日午後から2時間の授業を受けている。
 79年の義務化以降、障がいを理由に教育を受けることができない子どもは「ほぼゼロ」(県教委)だ。浦添分校には同じく就学免除を受けた60代の女性も通っている。徳永盛之教頭は「幼いころは学校に通いたくても通えず、今でも学校で勉強したいという気持ちがあるのは素晴らしいことだ」と語る。
 担任の玉城聖也教諭はタブレット端末を使い意思疎通をはかる。編入から2年半。今では笑顔も増え、端末の画面を押して返事もできるようになった。玉城教諭は「わざと違うボタンを押して周囲の反応を試して楽しむまでになった。目標は声を出すようになること」と目を細める。奥平さんは今、11月の学習発表会へ向けパーランクーの練習に精を出している。(大城和賀子)