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「こんなきれいな場所に手足の断片が…」対馬丸の悲劇を学ぶ沖縄の児童ら、感想などを報告


「こんなきれいな場所に手足の断片が…」対馬丸の悲劇を学ぶ沖縄の児童ら、感想などを報告 対馬丸について学んだことを報告する児童=29日、那覇市若狭の対馬丸記念館
この記事を書いた人 Avatar photo 中村 優希

 太平洋戦争中に疎開する児童らを乗せて沈没した対馬丸の悲劇を学ぶ「2024年度第3回対馬丸平和継承プログラム」(対馬丸記念会主催)の報告会が29日、那覇市若狭の対馬丸記念館で開かれた。参加した15人の児童が、学んだ内容や感想などを報告した。

 同プログラムは今年で3回目。8月13日~15日に対馬丸の生存者や犠牲者が流れ着いた奄美大島宇検村まで船で訪れ、当時を知る関係者に話を聞いたり慰霊祭に参加したりした。

 与那城小5年の森根美花さんは、事前研修を終えて実際に奄美大島まで船に乗った体験について、「出発前からとても不安な気持ちになった」と振り返った。船が沈んだ時のことを想像し、家族に会えなくなる不安があったという。

 船内ではトランプをするなどして楽しくなったが、日が暮れると「寂しくなり家族にとても会いたくなった。対馬丸に乗った子たちも私と同じように家族に会いたかっただろうなと思った」と話した。

 宇検村の船越海岸には多くの遺体や生存者が流れ着き、地元住民が救助、埋葬した。同村には慰霊碑が立ち、今でも当時の体験が語り継がれている。

 城西小5年の饒平名木蓮さんは、慰霊祭に参加後、浜に訪れたことを振り返り「こんなきれいな場所に遺体やちぎれた手足が流れ着いたら、私だったら近づくことすらできないと思った。宇検村の人の優しさを感じた」と話した。

 天久小5年の知念由依さんは対馬丸で兄をなくした守田アキさん=那覇市出身、奄美市在住=から聞いた体験を振り返り「戦争は犠牲者の家族もまた犠牲者だということに気づかされた。80年たった今も生存者や残された家族の心を苦しめ続けている。戦争を二度と繰り返してはならない」と力を込めた。

(中村優希)