【特設】全島エイサー×Google Earth オンラインで沖縄・夏の風物詩を見に行こう


この記事を書いた人 Avatar photo 田吹 遥子

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止になってしまった今年の沖縄全島エイサーまつり。夏の風物詩が見られないのは寂しい…ということで本来全島エイサー最終日だった13日、琉球新報ではラッピング紙面と共にGoogle Earthを利用した動画プロジェクトを公開しました。空中散歩をしながら道ジュネーを見に行くような、臨場感たっぷりの動画をぜひご覧あれ。(全島エイサー同実行委員会=沖縄市、琉球新報社、沖縄テレビ放送、市観光物産振興協会、市青年団協議会)

 

オンラインで道ジュネー

 下の写真をクリックするとGoogle Earthでの「オンライン道ジュネー」が始まります!

※Google Earthアプリのダウンロードが必要です。

 

沖縄全島エイサーまつり動画集

 これまでの全島エイサーまつりの様子は「琉球新報YouTubeチャンネル・全島エイサーリスト」でご覧になれます。

 昨年の全島エイサーまつりの写真販売はこちら 

 

「エイサー会館チャンネル」では全島エイサー内の沖縄市青年エイサー祭りや各青年会の旧盆道ジュネーの様子の動画もあります。

そもそもエイサーとは?

 エイサーとは、旧盆に行われる先祖供養の伝統行事で、今や沖縄を代表する伝統芸能になっています。 地域によっては青年たちがエイサーを踊りながら通りを練り歩く「道ジュネー」を開催します。

 その形態は、大太鼓や締め太鼓を中心としたもの、片ばりの太鼓(パーランクー)を用いたもの、太鼓を使わない手踊りだけのものなどいくつかあります。

地域で異なるエイサーの形

沖縄本島で継承されてきた伝統的なエイサーは以下、大きく五つの形式に分けられます。

 

①女性のみの手踊りエイサー

与那の「七月モーイ」で先祖の霊を迎えるために踊る女性たち=2012年、国頭村与那

 本島北部では、多くの地域で手踊りエイサーが伝わっています。国頭村の西海岸側や大宜味村では、手踊りや地謡など、すべて女性のみで行う伝統行事「七月モーイ」があります。手踊りは輪になり、地謡は太鼓のみで三線は使いません。

 

②男女の手踊りによるエイサー

四ツ竹で踊る賑やかな「谷茶前」など14の曲にのって手踊りを披露する名護市世冨慶エイサー保存会=2015年、沖縄市コザ運動公園陸上競技場

 太鼓を使わずに男女が入り交じった手踊りエイサーは、名護市や本部町、今帰仁村の本部半島一帯に伝わっています。旧暦の7月15日のウークイに、家々を回ったり、十字路で踊ったりします。踊り手が扇などの小道具を持って演舞する場合もあります。
 

③締太鼓主体のエイサー

大太鼓や締太鼓の力強いばちさばきで会場を盛り上げる沖縄市園田青年会=2019年8月、沖縄市コザ運動公園陸上競技場

 現在、エイサーの主流となっているのが、本島中部に分布する締太鼓主体の太鼓エイサーです。大太鼓と締太鼓に女性や男性による手踊りが続く行列踊りで、戦後のエイサーコンクールを機に飛躍的に発展しました。

 

④パーランクー主体のエイサー

伝統の型を披露するうるま市平敷屋青年会(西)=2019年8月

 うるま市の与勝半島一帯には、パーランクー主体のエイサーが多くあります。チョンダラーなどがユーモアあふれる演舞を披露するのも特徴的です。

 

⑤念仏エイサー

 エイサーの原形である念仏踊りは、本島南部の一部の地域で伝承され、念仏歌を歌いながら各家を回ります。

 

 

エイサーの歴史

 戦前まで各地域の民俗芸能として根付いていたエイサーは、戦時中は一時、中断を余儀なくされました。戦後は1956年に旧コザ市(現沖縄市)で「全島エイサーコンクール」が開催され、回を重ねるごとに一大イベントに。第1回は約3万人の観客がコザ小学校のグラウンドに集まったようです。

 コンクールの開催をきっかけに念仏歌に合わせた踊りから、太鼓エイサーが主流に。集落内で練り歩くエイサーは、見物客に披露するために隊列に工夫を凝らしたり、技を開発したりするなど、鑑賞する芸能として発展していきました。

 70年の日本万国博覧会(大阪万博)には、園田青年会が約120人の編成で出演。その後、大規模編成の団体が増えていきました。

 青年会活動が停滞していく80年代に台頭したのが、創作エイサー。82年に「琉球國祭り太鼓」が結成。当時の沖縄ポップスブームも重なり、性別や年代、地域を問わず参加できる創作エイサーが盛んになりました。

 県が美ら島おきなわ観光宣言を表明した95年、国際通りでは「1万人エイサー踊り隊」が初開催されました。90年代からは青年会も徐々に復活し、もともとエイサー文化のない浦添市や那覇市などの地域でも青年会の設立が相次ぎました。

エイサーの源流はチョンダラー?

 久万田晋教授/県立芸術大学付属研究所

 エイサーと言えば大太鼓や締太鼓を用いる形態が今は主流だが、起源は念仏歌といわれる。18世紀ごろには念仏踊りから発展した芸能「似せ念仏」が流行し、念仏の芸能化が進んだ。

 明治時代になると念仏歌に、はやりの民謡曲や手踊りなどが取り入れられた。特に本島北部で流行し、北部では現在でも太鼓を持たずに踊る手踊りエイサーが主流だ。それがだんだんと中部に伝わり、念仏歌を歌い踊りながら金品をもらい歩く門付(かどつ)けが本島全域に広がった。これは「念仏エイサー」ともいわれる。

チョンダラー

 沖縄本島のエイサーの基本的な楽曲に「七月念仏(継母念仏)」がある。元々はチョンダラーが歌い歩いていた念仏歌だったことから、チョンダラーがエイサーの源流だともいわれている。

 チョンダラーは葬式での念仏歌をなりわいにしていた。チョンダラーが歌い歩くうちにムラの若者たちが習得していったとも考えられる。若者たちがお盆の時期に地域の家々を歌って回るようになり、エイサーが芸能として確立したのだろう。

 チョンダラーの実態は不明な点が多いが、組踊や芝居の題材にもなっていることから、沖縄の古典芸能や民俗芸能では重要な存在ともいえる。

 

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記事参照:琉球新報8月23日付「月イチ図解」、エイサー会館HP

Google Earthコラボ企画制作:文化事業推進部・又吉結愛

記事編集、構成:デジタル編集・田吹遥子