行事に着用するのは決まってピンクのネクタイ。温かい人柄を映し出すようだった。沖縄国際大学の5号館、吉浜忍さんの研究室にはいつも学生が集まっていた
▼教職課程吉浜ゼミの合言葉は「出会いは宝、そして絆」。授業以上にバレーボールの指導は熱っぽく、よく体育館を借りて練習した。高校教諭時代に強豪校を育てた血が騒ぐのだろう。少々厳しく、合宿も毎年の恒例行事。不思議とゼミの絆は強まった
▼近年は足が弱くなり外出を控えていたが、卒業生が自宅を訪ねると喜んで迎え入れた。ベランダでタバコをくゆらせ、コーヒー片手に教え子と近況を語り合う。穏やかな時間だった
▼突然の訃報に言葉を失った。復帰の年に久米島高校に赴任し、高校教諭を27年、大学教員を15年務めた。退官後も沖縄戦研究の第一人者として県史や市町村史の編さんと、走り抜けた日々だった
▼全国に先駆け、沖縄戦遺跡の文化財指定に携わり、研究者として大きな功績を残した。そして、多くの教え子たちが教員として、教壇に立っている。吉浜さんが結びつけた絆は多くの卒業生の糧となっている。先生、ありがとう。