親戚や知人とうちなーぐちで語らう両親の下で育った。子どもには標準語で話していたが、自分は同年代の人と比べると、比較的うちなーぐちが聞けるほうだと思う
▼母親によると、3、4歳のころ、童話の桃太郎をうちなーぐちで話す特技があったらしい。ラジオで流れていたのを聞いて覚えたのだという。親戚の前などで披露して喜ばれた記憶がおぼろげにある
▼現在は使えるというレベルからは程遠い。慣れるためにはまずは使うことから始めようとも思うが、乱暴に聞こえないかとか、相手が目上の人だと表現が失礼じゃないかとか二の足を踏む。結局、使わないのが常だ
▼本紙文化面で月に一度の企画「琉球諸語便り」が始まった。沖縄、八重山、宮古の3人の筆者がそれぞれの言葉で書簡を交わす。第1回(8月15日付)は沖縄と八重山の言葉で八重山の祭りについて綴(つづ)ってくれた
▼「言葉は文化。言葉を失うのは文化を失うこと」という。発音や表記法など課題もあるが、ユネスコが琉球諸語を消滅危機言語としている現状を変えることができるのは、今を生きるわれわれだけということは胸に刻んでおきたい。