【写真特集】笑顔の子「天然色」50年代の沖縄 戦災免れた風景、国際劇場…207点公開


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クラッカーを食べる子どもたち=1952~54年ごろ、沖縄本島(琉米歴史研究会提供)

 【北中城】NPO法人琉米歴史研究会(喜舎場静夫理事長)は、15日に沖縄県北中城村あやかりの杜で開いた記者会見で、1952~54年に県内で撮影されたカラー写真を公開した。207点の写真は、戦災を免れた沖縄の美しい風景や子どもたちの生き生きとした表情をとらえている。当時、米軍基地の小学校に勤務していた教師が撮影し、米国の男性を通して同NPOに提供された写真の一部を紹介する。

米兵らに花を売る子どもたち=1952~54年ごろ、沖縄本島(琉米歴史研究会提供)
子どもたち=1952~54年ごろ、国頭村奥間(琉米歴史研究会提供)

洗濯する人々=1952~54年ごろ、金武町(琉米歴史研究会提供)
アーニー・パイル国際劇場前の人々=1952~54年ごろ、那覇市(琉米歴史研究会提供)

首里の龍潭周辺=1952~54年ごろ、沖縄本島(琉米歴史研究会提供)
松並木が残る普天満宮前の通り=1952~54年ごろ、宜野湾市(琉米歴史研究会提供)