<金口木舌>渡すのは緑のバトン


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 「私たち教員はあの子たちを守れなかった」。12日に永眠された石川・宮森630会会長の豊濱光輝さんは、事あるごとにこう口にした。原因は米軍なのに、自責と悔悟を背負い続けていた

▼宮森小学校に整備不良の米軍ジェット機が墜落したのは1959年6月30日。18人の命が奪われた。当時、巡回教員だった24歳の豊濱さんは遺体安置所の係を任された
▼最後まで引き取られない2遺体があった。焼け跡の灰の中から黒焦げで見つかり、性別も判別不能。不明児童の親に「よく確認してください」と促すと、「死んだ子を私の子にしたいのか」と詰め寄られた。遺族の叫びと涙は「表現するには知っている言葉が少な過ぎる」と語っていた
▼事故について長い間封印していたが、2009年、元教員の集まりへの参加が転機となった。「50年間黙っていて申し訳ない」「忘れたい、でも忘れてはいけない、決して忘れさせまい」。年表で1行しか書かれていない事故の真実を伝えるために、語り部活動に精魂を傾けた
▼豊濱さんは一昨年の慰霊祭でこう問い掛けた。「この沖縄で私たちはくゎんまが(子孫)に渡せるバトンを持っていますか」。信号機の色に例えて「赤いバトンを渡すわけにはいかない。大人には緑のバトンにする義務がある」と
▼子どもが安心して暮らせる島。「緑」に変える力が県民にはあると信じたい。