藍色に浮かぶ模様 庶民の晴れ着として愛された知花花織を現代に


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
知花花織事業協同組合員と研修生の皆さん。後列右から2番目が今回取材に答えてくれた副理事長の神田尚美さん=沖縄市知花の知花花織事業協同組合 写真・村山 望

今に伝える地域の誇り

藍染めに赤白の幾何学的な浮き模様が特徴の「知花花織」。沖縄市(旧美里村)を中心に織り継がれてきた伝統の織物だ。戦後、その存在は影を潜めていったが、2000年の沖縄市による復元事業を機に研修生の育成を開始。復興への動きが活発化した。現在は組合を設立し、伝統的な着物や帯の他、現代のライフスタイルに合った小物類も制作し、伝統の継承と発展に努めている。

国の伝統的工芸品に指定されている知花花織。旧美里村知花、登川、池原地域(現沖縄市)などを中心に古くから織り継がれてきた織物だ。

伝統的な知花花織の柄でできた帯

知花花織は19世紀後半に技法が確立したとされる。「経糸で模様を浮かせる経浮花織(たてうきはなおり)などの技法が大きな特徴だ。庶民の晴れ着として着用されてきた」と話すのは知花花織事業協同組合副理事長の神田尚美さん。馬乗り競争「ウマハラシー」や旧暦8月15に行われる300年以上の歴史を誇る知花地区の奉納舞踊「ウフデーク」などの衣装として住民に親しまれてきた。

そんな知花花織も沖縄戦や戦後の急速な商業発展の中で、衰退の一途をたどっていった。

忘れ去られようとしていた知花花織に再び光が当たったのは2000年。沖縄市が知花花織の産業化を図り、後継者育成制度を始めたのがきっかけだった。神田さんも2002年に研修3期生となった一人だ。登川出身の神田さんは大学で織りを学び、卒業後は別の仕事に就いていた。「地元に立派な織物があるので、将来ずっと仕事としてやっていきたい」との思いからこの道に進んだ。

多様な製品を開発

沖縄市は知花花織衣装3点を2000年に市の民俗文化財に指定。同年に発足された研究会を経て、2008年には組合を設立し、地域の伝統工芸の復興に乗り出した。10年には県の伝統工芸製品に、12年には国指定の伝統的工芸品にも指定された。

(上)知花花織事業協同組合内で作業をする組合員たち

後継者育成事業の開始から11年。現在、知花花織事業協同組合では、22期生が研修中だ。研修生はデザインから染め、製織に至るまで、全工程を行えるようにカリキュラムが組まれている。

研修修了者は組合員となり織り手として活動でき、現在60人の組合員が所属している。県内外の需要もあるが、「需要に対して、人手が足りないほど。従事者が長く定着できるような環境を整えることが課題となっている」(神田さん)

(左)琉球藍で染めた木綿糸を干す研修生たち。染色後は手絞りで脱水をする

デザインは無限大

「沖縄こどもの国」で行われた「ウマハラシー」。乗り手が知花花織の衣装を着用した

知花花織の魅力は「素朴さのなかに垣間見る、模様の華やかさがある」という神田さん。他の花織のような上納品とは違い、もともと庶民の晴れ着だったということもあり、自由な発想でデザインができるという。「制限された技法のなかで、どういう模様を織り出していくかという楽しさがある」

近年では帯や着尺などの主製品の他、二次加工品も生産されている。名刺入れや財布、コースターといった小物類の他、かりゆしウエアのポケットや襟部分にワンポイントで使われるなどさまざまな形で展開されている。

神田さんは「伝統を継承しながら新しいものづくりに挑戦していくことが、これから長く続けていくためにも大切なこと」と語る。地元の人々に守り続けてきた伝統は、現代の織り手たちの手で現代に生き、次世代へと継がれていく。

(坂本永通子)

小物などの二次加工品なども制作

知花花織事業協同組合

沖縄市知花5-6-7 (マップはこちら
☎ 098-921-1187

(2019年11月7日付 週刊レキオ掲載)