飲んでも立てても心落ち着く「煎茶道」の魅力とは【島ネタCHOSA班】


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先日「煎茶道」というものを知りました。茶道はよく耳にしますが、煎茶道は初耳なので、詳しく教えてください。沖縄でのお茶文化の歴史も教えてもらえるとうれしいです。

(浦添市 茶摘み王)

調査員も「煎茶道」って初めて聞きました。「◯◯道」って付くぐらいですから、奥深い歴史がありそうですよね。早速、調査してきました!

54年ぶりの献茶式

抹茶を茶筅で泡立てお点前する「茶道」と違い、茶葉を湯で煮出す煎茶でお点前をする「煎茶道」。実はこの煎茶道、沖縄でも大きな動きがあったばかりです。

10月27日、県護国神社で行われた献茶式で献茶する花月庵流の家元。奥には中村さんの姿も

10月27日、煎茶道の流派の一つである「花月庵流」の会員が全国各地から集まり、県内では54年ぶり、2回目の献茶式が県護国神社で開催されました。約130人の関係者が見守る中、田中香坡六世家元が神前に煎茶を捧げました。

献茶式を見学した調査員は、煎茶道の魅力や県内の現状などについてお話を聞こうと、沖縄に煎茶道を初めて広めた花月庵流沖縄支部の中村よね支部長を訪ねました。

いかに楽しく生きるか探求

私たちが普段何気なく飲んでるお茶も、かつてはなかなか手に入らない宝物のような存在だった、と中村さん。

「三国志で、蜀の皇帝である劉備が、先祖代々の剣を茶と交換する場面があります。それぐらいお茶は高価だったんですよ。日本では武士への褒美として与えられるような特権的な飲み物でした。戦国時代を経て京都・宇治で茶が多く生産されるようになってからというもの、茶が一般化していきました」

抹茶は武家文化を基盤とし「いかに死すべきかの探求」、煎茶は文人・町人文化を基盤とし「いかに楽しく生きるかの探求」を主眼にそれぞれ発展していったといいます。同じ茶でも、歴史的背景から、その意味がこんなにも違うとは、驚きですね。

同献茶式の副席の様子
中村よねさん

沖縄でのお茶文化はどんな歴史を歩んだのでしょう。大和茶栽培の歴史は1627年、金武間切漢那村で金武王子が種を植えたのが始まりだとされています。浦添市の茶山団地も、茶の栽培がさかんだったことからその地名が付いたといいます。

10月の献茶式後の副席では、シーサーの形をした壺屋焼の茶道器を使ったり、ミンサー柄があしらわれたお菓子を給したりなど、地域性を出した柔軟な雰囲気を感じました。中村さんは「全国からみなさんいらっしゃいますから、沖縄の特色を出しておもてなしをしています」と話します。

中村さんが沖縄で煎茶道を始めたのは56年前。まだ仮の建物だった護国神社で献茶式を行ったのが最初です。福島生まれで沖縄に拠点を移した中村さんに「沖縄で煎茶道を広めてほしい」と白羽の矢が立ちました。

沖縄で初めて煎茶道を始めた時の中村よねさん(左)。56年前の献茶式で

今は那覇市内の中村さんの自宅で、約15人ほどの生徒さんが煎茶を学んでます。「会社秘書の方が学びに来ることも多いです」と中村さん。

「沖縄は観光立県ですからね。(おもてなしで)おいしいお茶が出せることは大切です」と語ります。なるほど!

会員の一人、小那覇りなさんは約30年間、煎茶に親しんでいます。その魅力について「数十分茶を立てるだけで、雑念を払えて、心を落ち着けることができる。人生で辛いことがあった時も、煎茶道に助けられ、救われてきました。(忙しい日々を過ごす)ビジネスパーソンにもおすすめです」とその魅力を紹介します。その隣で中村さんも「現代の世の中が今、コンピュータのリズムに流されています。(0か1の)2択で判断するコンピュータより、人間の頭はずっと賢いんだっていうことを私たちは知らないといけないですよね」と語ります。

はぁ、今すぐお茶を飲んで落ち着きたくなりました。

(2019年11月28日 週刊レキオ掲載)