NYで生きる。一眼レフとiPhoneとともにー本村ひろみの時代のアイコン(20)国吉トキオ(フォトグラファー)


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NYグランドセントラル駅前で撮影。(とあるファッション撮影の現場)

「トキオって本名ですか?」初めて名前を聞いた時、おもわず声にした。アメリカ・NYに住み「トキオ」という名前。私は心の中で「日本人でトキオ。象徴的な響きで、コレが本名ならなんてラッキーな人だろう。海外なら間違いなく誰でもすぐに覚えてくれる」と思った。すると国吉さんは笑顔で「本名ですよ、漢字で書くと“歳木朗“です」と教えてくれた。

「vessels」パリ写真展(PX3)2015ファインアート部門入賞

ユーモアとクール

ゲームにぞっこんだった10代の頃からカメラは趣味で身近にあった。当時はインスタントカメラで日記のように人や日常を写しては記録してきた。面白い瞬間を演出したりもしていた。ゲーム感覚の演出は今でも作品に投影されていて、2018年の東京都美術館でのグループ展では「Jackpot(大当たりの意)」と題し、NYの街を背景に麻雀パイを手のひらにのせた写真を三台の映写機に映し出し、数字が揃うとプレゼントが貰えるというゲーム感覚の展示をした。「ユーモア」や「クール」は作品を制作する際に心がけている事だ。

「Water Digital Galaxies」国際写真賞(IPA)2015ファインアート部門3位受賞

「やりたいことを見つける」

高校卒業後、まずは“日本”を自分の目で見てみようと、バイクで東京から鹿児島までを寝袋持って野宿で一人旅をした。ときには友人の家を訪ねつつ。2万円くらいのコンパクトカメラを手に風景や目にした瞬間を写真に綴った。2ヶ月間の放浪の旅。その経験が「動いてみたら、何かを達成できる、掴み取れる」という自信に繋がった。
2002年、サンフランシスコへ渡米。
世界地図を見て「日本と同じくらいの緯度にあるから」という理由でその場所を選んだ。半年で帰る予定が、「アメリカって面白い!」と夢中になり、気づけば4年が過ぎていた。世界中から集う刺激的な人たちから学ぶことがたくさんあった。

〝一番〟の引力

「ここで生きていく」「やりたいことを始めよう」と決心し、初めて一眼レフを購入した。カメラを学ぶためCity College of San Franciscoのフォトグラファー科にも進学した。
「この学校で一番になりたい」と24時間写真漬けで猛勉強をした。
目標に向けて全力で突進していくパワーは、穏やかな雰囲気のトキオさんからは想像ができない。
そして卒業後の2006年、「世界で一番パワーがある場所へ」とNYへ引っ越した。

(左)写真を本格的に始める前に撮っていた写真のアルバムやフィルムネガ。(右)NYの仕事部屋。

知り合いもいないNYにバックパッカーとして降り立ったその日から、今年で14年。世界的な写真コンクールで数々の入賞も果たし、その実績が認められ2008年から「アーティストビザ」を取得し活躍している。
2020年、今年の目標は写真集を出すこと。
今はそれに向けて作品制作する日々。
快進撃はとまらない。

「Bird Heaven Mandala」モスクワ写真賞(mifa)2016ファインアート部門入賞
「Cubismatic Wabi-Sabi」

【国吉トキオ プロフィール】

国吉トキオ(くによし・ときお)

那覇市出身
2002 ~ 2006年 サンフランシスコにて写真を学ぶ
2006年 ~ 現在 ニューヨーク在住

<主な入賞歴>
インターナショナルフォトグラフィーアワード (IPA) 2015
ファインアート部門 3位受賞
パリ写真賞 (PX3) 2015
ファインアート部門 入賞
モスクワ写真賞 (mifa) 2016
ファインアート部門 入賞

撮影はファッション、広告、ポートレート、風景、ライフスタイルなど多岐に渡る。中でもファインアート等の写真作家としての活動には特に力を入れる。近年は写真の可能性を広げるべく、アナログとデジタルの両方で学んだ知識と経験を使ってアート作品に落とし込む。平面写真として額縁に入れて飾る写真ではなく、”写真”を媒体としたインスタレーションワークをメインに作品制作、展示をしている。
主な作品はコチラ→http://shootinglife.net/

【筆者プロフィール】

本村ひろみ

那覇市出身。清泉女子大学卒業、沖縄県立芸術大学造形芸術科修了。
ラジオやテレビのレポーターを経てラジオパーソナリティとして活躍。
現在、ラジオ沖縄で「ゴーゴーダウンタウン国際通り発」(月〜金曜日 18:25~18:30)、「 WE LOVE YUMING Ⅱ 」(日曜日 19時~20時)を放送中。