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「すごいね」にモヤモヤ 100cmの視界から―あまはいくまはい―(67)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

骨が弱い障害がある私は、骨折をしていないときは立つこともできるし、一人でトイレに行くこともできます。でも一度骨折すると、約1カ月は動けなくなり、時には座ることも、ご飯を食べることもできなくなります。だから元気な私を見て「立てるんだ! すごいね」と言われると、立てないことも普通なのだけどな、元気なときも、動けないのも含めて私なんだけどな、と思ってしまいます。

東京パラリンピックを控え、全国各地で、障害者のスポーツだけでなく、演劇、ダンス、講演会など、障害理解を広めるイベントがめじろ押しです。いいことだと思う反面、悲しくもなります。「頑張る障害者」ばかりが注目されているように感じるからです。

介助を使わずに一人で動けて、働けることがいいことだと言われている感じがするからです。私みたいにヘルパー制度を利用しながら、また重い障害がありながら生きていくことは、逆に理解を得にくくなるのではないかと不安になってしまいます。

活躍している障害のある人は、自分の頑張りをアピールするのと同時に、自分とは違う人、自分よりも重い障害の人も生きていることに目を向けてもらえるとありがたいのだけど。能力主義がはびこっているこの社会で、障害のある人が自分のできることばかりをアピールすると、知らずしらずのうちに競争社会のレールに乗ってしまっているのです。それは時には自分より重い障害の人を否定してしまうことあるし、後には自分の首を絞めてしまうかもしれません。頑張り過ぎる障害者、要注意!

りゅうちぇるさんと、多様性をテーマに対談しました

そして障害のない人も、人は一人一人違っているからこそ、必要なサポートもそれぞれに違うことに気づけるといいのだけど。

私は養護学校(現特別支援学校)でいろいろな障害の友だちと過ごしたおかげで、人は一人一人違うことが当たり前で、自分と他者を比べないことが、今の生きやすさにつながっています。

重度障害のある2人の議員が国会で活躍していることは、希望です。手が動かなくても、呼吸器を付けていても、話すことに時間がかかっても、考えるスピードがゆっくりでも、必要なサポートを受けて、学校に通ったり、友だちと遊んだり、仕事をしていけたらいいのに。

障害があっても、楽しみながら、時には悩んで苦労しながら、生活していきたいです。そして障害がない人も、もし困ったら、誰だってサポートが受けられたらいいのに。いろいろな人の生きやすさにつながる障害理解、共生社会が広まってほしいです。

(次回は3月17日)

伊是名夏子

いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。

 

(2020年3月3日 琉球新報掲載)