沖縄文化をもっと好きに 「歌碑」から読み解く当時の営み

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地方部記者が地元への愛情たっぷりに担当地域をアピールする「J(地元)☆1グランプリ」。今回は民謡や古謡の歌詞などが刻まれた各地の歌碑を紹介します。

皆さん、民謡はお好きですか? ふとしたときに自然と口ずさむような人もいれば、あまり詳しくないからと苦手意識のある人もいるかもしれません。歌碑の多くには、その歌が生まれた背景や、作詞者・作曲者の思いや人柄などが記されています。歌碑を知れば、もっと沖縄の文化が好きになるはず。

新型コロナウイルス感染拡大防止のため外出を自粛し、自宅で過ごすことが多い今、歌碑巡りは収束後の楽しみに取っておき、自宅で民謡などを聴いて楽しんでみてはいかがでしょうか。


「二見情話」歌碑 ★ 名護市


「二見情話」の歌碑=名護市の二見公民館


住民への感謝 歌に


二見情話大会=2018年、わんさか大浦パーク特設ステージ

名護市二見の美しい自然と、地元住民の人情を歌った「二見情話」。男女の掛け合いを美しいメロディーで表現している。作者の照屋朝敏氏本人が直接、詞を刻んだ歌碑は二見公民館敷地内にあり、多くの人から親しまれている。

照屋氏は1945年の沖縄戦当時、首里から二見に避難した。地元住民に親身になってもらい、民家の離れと畑を借り、衣食住に困ることなく生活できたという。終戦後「平和祈念と二見の人への命からなる感謝を込めた」と記しており、恩返しの気持ちから歌を残した。

二見情話大会は、11月に名護市のわんさか大浦パークで、1月に同市の桜まつりイベントとして開催される。県外からの参加者も多く、老若男女が参加し、交流の場になっている。二見公民館そばの国道331号(旧道)には、車で走ると二見情話が流れる「メロディーロード」があり、町おこしに一役買っている。


照屋氏は「戦場の哀れ 何時か忘りゆら 忘りがたなさや 花の二見ヨ(戦争の悲しさは時がたてば忘れられるだろうが、二見の自然の美しさは忘れがたい)」と最後の歌詞につづった。宜寿次聰二見区長は「この歌には平和というメッセージが込められている。二度と戦争を起こさないためにも、発信し続けたい」と語った。照屋氏の思いは今も引き継がれている。

(喜屋武研伍)



おもろ歌碑 ★ 北中城村


歌の注釈が書かれた石碑(右)と共に並ぶ、甘い夢からの目覚めを歌うおもろ歌碑=北中城村喜舎場

日常に生きる古典


「喜舎場のうつくしい人(恋人)を抱いたと思ったのに、夢であったよ…」。思わず、吹き出しそうになるのは北中城村喜舎場公民館前の児童公園にある「おもろ歌碑」。側の石碑には「笑いこそが世果報(ゆがふ)(平和で幸せ)をもたらす力の根源」と注釈が添えられている。朝露と消えたロマンスの歌が子どもたちの憩いの場を見守るように佇(たたず)むのも、またをかし。

歌碑は1999年に文化振興の一環として、大城盛光・村文化財保護審議会長が中心となり、喜舎場の地名にちなんで建立した。題材となった「おもろさうし」は沖縄・奄美に伝わる古謡を首里王府が16~17世紀にかけて採録、編集した沖縄最古の歌謡集。主題は祭祀(さいし)儀礼や国王礼賛時など多岐にわたる。村落共同体の平和や繁栄を願う歌も多く、その中には現代の生活に通じるものもある。遠き世を思うのではなく、日常に生きる古典と言っても過言ではない。

恋人を抱けなかった喜舎場の碑の歌人(作者不詳)も「いめやあとなもの(夢ははかなく消えるもの)」と詠み、嘆く様子が目に浮かぶ。「分かるよ」と共感せずにはいられない。

おもろの語義は「思ひ(うむい)」であると伝えられている。県内各地にあるおもろ歌碑をたどり、先人の叙情に触れるのも、おもしろきかな。

(新垣若菜)

「兄弟小節」歌碑 ★ 与那原町


兄弟小節の歌碑=与那原町東浜

一度出会えば皆…


第2回「兄弟小節大会」で最優秀賞に選ばれた金城春奈さん=2019年11月9日、与那原町

ウチナーンチュのおおらかさが伝わる言葉、「いちゃりばちょーでー」。与那原町出身の民謡歌手、前川朝昭氏(1912~89年)が「兄弟小節(ちょーでーぐゎーぶし)」で歌ったはやし言葉だ。「行逢りば兄弟 ぬぅ隔てぃぬあが(一度出会えば兄弟だ 何の隔てがあろうか)」。戦後の復興期に活躍し、「民謡の父」と呼ばれた前川氏の功績を後世に伝えようと、同町の東浜野球場西側駐車場に2005年、歌碑が建立された。

歌碑の周囲には公園や住宅が建ち並び、親子連れや子どもたちの明るい声がこだまする。地域でも人の往来が多い場所にあり、歌碑の建立をきっかけに「兄弟小節」や前川氏を知った若い世代も多い。

与那原町では18年から歌碑のそばで「兄弟小節大会」が開催している。「町を代表する大会にしたい」と町役場も協力し、開催前の一定期間、役場の休憩と終業を告げるチャイムに「兄弟小節」を流した。大会には三線を始めたばかりの初心者からベテラン歌手までが出場。これまで開催された2回の大会で、最優秀賞に選ばれた2人はどちらも10代だった。


同大会実行委員会会長の上里幸誼さん(70)は「まだ生まれたばかりの大会だが、長く深く愛され、『いちゃりばちょーでー』の精神が広がり平和な世の中につながってほしい」と願いを込める。

(嘉数陽)



「安里屋ユンタ」歌碑 ★ 石垣市


「安里屋ユンタ」の歌碑=石垣市の白保公民館敷地内

沖縄民謡の代表曲


「サー君は野中のいばらの花か♪」の歌い出しから始まる「安里屋ユンタ」。沖縄の代表的な民謡として全国的にも有名なこの歌の歌碑は、石垣市の白保公民館敷地内にある。同曲を作詞した星迷鳥(本名・星克(ぼしかつ))が白保出身だったことから、2013年に同地に建立された。

「新安里屋ユンタ」とも呼ばれるこの曲は、竹富島発祥の古謡が原曲。星が平易な標準語で詞を付け直し、石垣島出身の音楽家・宮良長包が作曲した。1934年に全国発表され、沖縄民謡の代表曲として定着している。

星は後に旧大浜町長や立法院議長なども歴任する著名な政治家となった。歌の継承と星の功績をたたえるため、歌碑建立期成会が立ち上がり、地元・白保に歌碑が建立された。歌碑の台座には1~4番までの歌詞が刻まれ、星の肖像画も埋め込まれた。

建立期成会長を務めた前盛立(たつ)さん(75)は「安里屋ユンタは世界中で親しまれており、歌われ続ける限り、地元の偉人である星の名前も残り続ける。この歌碑が宝の持ち腐れにならないよう、もっと多くの人が訪れてほしい」と話した。

(大嶺雅俊)






伝わる当時の営み

古くから伝わる歌が歌碑に刻まれ、次の世代に受け継がれる。歌からは当時の人々の暮らしの営みや苦労、情愛が伝わり、時空を超えて作者や地元への愛着が生まれる。歌碑にはそのような魅力があるのだと気付きました。

沖縄最古の歌謡集「おもろさうし」には1554首が収録されているそうです。今回取り上げた北中城村には、喜舎場以外にも「おもろさうし」の歌碑が安谷屋など4カ所あり、また浦添市内にも9カ所あるそうです。県内の「おもろさうし」歌碑は100を超えるのではと察します。新型コロナウイルスが落ち着いたら、巡ってみたいものです。 

(亜)


(2020年5月10日 琉球新報掲載)


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