戦後75年 沖縄のナイチンゲール・眞玉橋ノブさんの物語「すくぶん」から学ぶ 沖縄戦と看護のこころ

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皆さんは“沖縄のナイチンゲール“と呼ばれた眞玉橋ノブさんをご存じでしょうか。彼女は「鉄の暴風」が吹き荒れた激しい沖縄戦で、陸軍病院の看護婦長としてひめゆり学徒隊を指導しながら負傷兵の看護にあたり、戦後は沖縄看護の発展に尽力しました。あの戦争から今年で75年。戦争体験を語る世代が少なくなる時代を迎え記憶の伝承が課題となっている中、那覇市首里の「眞玉橋ノブ研究所」は、戦中戦後の沖縄で看護の使命を尽くしたノブさんの生涯を伝える絵本「すくぶん―南の島のナイチンゲール眞玉橋ノブ物語―」を制作しました。

「すくぶん」とはしまくとぅばで“使命”や“役割”を意味する言葉だそうです。この一冊を通して沖縄戦の歴史や看護のこころ、そして私たち一人一人が生まれながらに持つ自分の使命(すくぶん)とは何かを考えてみませんか。

75年目の「慰霊の日」を迎える前に、絵本を制作した同研究所の松岡由香子代表理事と松岡良幸事務局長に、研究所の取り組みや絵本に込めた思いを聞きました。

◇聞き手 関口琴乃(琉球新報Style編集部)




「絵本」で語り継ぐ 沖縄戦の歴史と看護のこころ



―はじめに、ノブさんとのご関係を教えてください。

由:「私は眞玉橋ノブの妹の孫になります。幼い頃から祖母やノブと同居し、ノブのことをいつも“大きいおばちゃん”と呼んで慕っていました」

良:「私は東京都の出身ですが、長年沖縄の観光事業に携わり、これまでに世界遺産の首里城や沖縄美ら海水族館で広報やプロモーションの仕事を担当していました。約20年前の話になりますが首里城で働く妻(由香子さん)と出会い結婚し、ご縁あって眞玉橋ノブさんの親族になりました」

―終戦から75年に合わせて、絵本「すくぶん―南の島のナイチンゲール眞玉橋ノブ物語―」を制作したきっかけを教えてください。

由:「はじめに眞玉橋ノブについて少し紹介させてください。今からちょうど75年前の沖縄戦でノブは27歳の若さで陸軍病院の看護婦長に志願し、自らの教え子でもある『ひめゆり学徒隊』を率いて戦火をくぐり、戦場の最前線で負傷者の看護に献身しました。戦後全てが灰になった沖縄でゼロから看護の再建に立ち上がり、看護教育の復活や近代看護制度の改革を行うなど、沖縄看護の歴史を築き上げました。

私たちは眞玉橋ノブの生涯を通じて沖縄戦や看護の歴史を後世に語り継ぐことで、少しでも看護への理解を深めることと沖縄の平和学習に貢献したいと考え、2017年11月に妹と2人で『眞玉橋ノブ研究所』を設立しました。妹は中学生の頃、ノブの養女になりました。研究所の設立後は沖縄戦や看護の歴史に関する情報の整理や資料の収集に取り組み、終戦75年の節目に絵本『すくぶん』を完成させました」


戦後コンセット型の病院兵舎でノブから戴帽を受ける看護婦たち(1951年頃)

絵本「すくぶん」の中の1ページ。戴帽式の様子

良:「研究所の取り組みを紹介する公式サイト『Mother Nurse』では、絵本『すくぶん』の電子書籍版を無料で公開していますので、ぜひ一度作品を読んでいただければと思います」

「すくぶん」電子書籍版はこちらから
https://mothernurse.jp/book

―絵本のタイトル「すくぶん」にはどんなメッセージが込められていますか?

良:「“すくぶん”とは沖縄の方言で“使命” や “役割”を意味する言葉です。眞玉橋ノブは戦乱の時代の沖縄で『国のために、誰かのために』と看護の道を志し赤十字看護婦として沖縄戦に従軍し、戦後も一貫して看護の再建と発展のために生涯をささげました。その姿はまさに看護の使命(すくぶん)を尽くした女性といっても過言ではありません」

由:「沖縄で制作した絵本ですので、大切なしまくとぅば(方言)にも親しみを持っていただければと、あえて“すくぶん”を採用しました。またノブは謙虚な性格で自身が目立つことをあまり好まない女性だったので、サブタイトルで控えめに『眞玉橋ノブ物語』と入れました。“すくぶん”の言葉とともに眞玉橋ノブを多くの方に知っていただけたらうれしいです」


絵本「すくぶん」の表紙デザイン(製本版)。ナイチンゲールに憧れてベールを被りロウソクを持つ少女時代のノブをイメージ。優しいタッチのイラストは那覇市出身のイラストレーター当山百合子氏が描いた

―絵本のサブタイトルに南の島のナイチンゲールとありますが、ノブさんは沖縄でナイチンゲールと呼ばれていたのでしょうか?

良:「ノブに関する資料や古い新聞記事などをひもといてみると、彼女の看護に対する貢献度の高さやその功績をたたえ、当時の医師や看護関係者たちが親しみを込めてノブを『沖縄のナイチンゲール』と紹介する記事を確認することができます。クリミア戦争の経験から世界の看護の基礎を作ったフローレンス・ナイチンゲールの物語と重なるように、沖縄戦を経験し戦後の沖縄看護の歴史を開いたノブの姿は『沖縄のナイチンゲール』と呼ぶにふさわしいのではと感じています」

由:「戦争で尊い命を失ったひめゆりの教え子や仲間の看護婦も、戦後の困難な時代をノブとともに過ごした看護婦も、ノブにとっては一人一人がナイチンゲールであり、理想のナイチンゲール像も人それぞれあると思います。私たちはノブへの敬意と愛情を込めて『南の島のナイチンゲール』としました」

―絵本を通してどのようなことを伝えたいですか。

由:「眞玉橋ノブが歩んだ沖縄看護の歴史を、大人から子どもまで誰もが親しんでいただけるようにと絵本を制作しました。作品を読んだ子どもたちが将来の看護を目指すきっかけになればノブもきっと喜んでくれるではないかと思います。また看護の使命感で生きたノブの物語を通して、自分の“すくぶん”を見つけるきっかけにしていただければうれしいです。現役の看護師さんたちにはノブからの応援の気持ちを込めて、看護が素晴らしい仕事であることを再確認いただけたらと思います」

良:「絵本と聞くと、子ども向けの作品のイメージがありますが『すくぶん』は大人からご年配の方でも読んでいただける作品です。年代や対象を選ばず物語が伝わりやすいように絵本で表現しました。ひとりの看護婦の物語と思われるかもしれませんが、沖縄戦から戦後復興までの道のりを看護の視点で伝えていますので、この作品が沖縄戦や看護の歴史に関心を持つ人々に少しでも役立てていただければ幸いです」


研究所設立のきっかけは長男からの質問「沖縄戦って?」



―2017年11月に「眞玉橋ノブ研究所」を設立し、19年5月には公式ホームページMother Nurseを公開されました。研究所設立の経緯について教えてください。

由:「今から5年前の慰霊の日、当時小学5年生だった長男から沖縄戦についての質問を受けたとき、身近に戦争体験者であるノブがいたのにうまく答えることができませんでした。私も妹も子どもたちと同じように平和学習で沖縄戦について学んできたはずですが、戦争の歴史に関してはあいまいな知識のままで過ごしていました。

戦争の伝え方や教え方は教育現場や各家庭でもさまざまですが、命や平和に対する大切な学習(平和学習)をもっと親子でも話し合える機会が必要ではないかと考えていました。生前のノブは家族である私たちにさえ戦争のことを語りませんでしたが、息子の一言が改めて沖縄戦やノブの歴史と向き合うきっかけになりました」


美智子妃殿下(当時)よりF・ナイチンゲール記章を受けるノブ ©日本赤十字社

1985年5月赤十字国際委員会よりノブに贈られた「フローレンス・ナイチンゲール記章」

由:「1985年、ノブは沖縄県の出身者として初めてフローレンス・ナイチンゲール記章を受賞しました。これは看護師に与えられる世界最高の栄誉ですが、ノブは受賞の喜びを『戦渦に散ったひめゆりの乙女や仲間の看護婦たち、そして沖縄の全ての看護師を代表しての受賞です』と語りました。この記章の裏側には『博愛の功徳を顕揚し、これを永遠に世界に伝える』という文字が刻まれています。私たちはこの言葉を目にしたとき、看護にささげたノブの生涯と向き合い、子どもたちにきちんと伝えていく必要があると感じ『眞玉橋ノブ研究所』を設立しました」

良:「私もノブの家族の一員として、また姉妹の思いや息子たちの気持ちに応えるため研究所の事務局としてサポートすることにしました。眞玉橋ノブに関する資料や情報を収集し、戦時中ノブがたどった南部の戦跡に何度も足を運ぶことで沖縄戦の実相に近づいていきました。そして2019年5月12日(看護の日)に公式サイトMother Nurseを公開し、研究所の事業活動を本格的にスタートさせました。ノブの生涯や功績をここで紹介するにはボリュームがあり大変なので、ぜひ公式サイトから『History of Mother Nurse―眞玉橋ノブのあゆみ』をご覧ください。彼女の生涯を戦前・戦中・戦後に分けて章立てし、詳しくご紹介しています」

眞玉橋ノブのあゆみ-History of Mother Nurseへ
https://mothernurse.jp/history


暗い戦争の歴史に光をともして見えた世界



―研究所の公式サイトを拝見しました。戦争の負の歴史を感じさせない沖縄の色鮮やかな風景写真が印象的でした。どのようなコンセプトで制作されたのでしょうか。


研究所の公式サイトMother Nurseのトップページは母なる海を象徴する珊瑚礁

History of Mother Nurseの背景はハイビスカスの後ろ姿にフォーカス

良:「戦争を伝える記録の多くはモノクロームの写真や映像として残されているため、私たちは色彩のない世界を暗い過去の出来事として目を伏せてしまうこともあるのではないでしょうか。しかし幼少期から眞玉橋ノブとの生活をともに過ごした姉妹はノブが生きた戦争の時代も今と同じような色彩豊かな沖縄の風景があることを実感し、現状の戦争の伝え方や伝わり方に違和感を覚えていました。私たちは暗い戦争の歴史に光を照らすことで色彩を取り戻し、現在の視点から歴史を見つめ直すことが新たな気づきになると考え、公式サイトMother Nurseをデザインしました」


糸満市伊敷にある「轟の壕」、戦時中に沖縄県庁が置かれた自然壕

糸満市の平和祈念公園内にある「平和の火」。ウェブサイトを彩る沖縄の風景や戦跡の写真には石垣島出身の写真家仲程長治氏の作品が採用されている

由:「戦争の時代と戦後の歴史につながりを持たせ、一体的に学ぶことが新しい時代の平和学習に求められているのではないでしょうか。一人一人の命のつながりが歴史のつながりであることを実感できるように、沖縄戦の歴史を新しい視点や切り口で若い世代や同世代の大人たちにも伝えていきたいと考えています」

―研究所のテーマMotherNurseと、研究所が取り組むOkinawa Nightingale Projectについて教えてください。


Okinawa Nightingale Project のシンボルマーク。三角形を重ねたMとNのロゴはMother Nurseの頭文字と眞玉橋ノブのイニシャルで構成されている

由:「私たち研究所の取り組みはとてもシンプルです。フローレンス・ナイチンゲールの物語が世界中の人々に親しまれているように、沖縄看護の歴史を築いた眞玉橋ノブの物語を世界に伝え、未来へ語り継ぐためOkinawa Nightingale Projectを展開します。デザインやコンセプトは事務局長が担当しました」

良:「沖縄看護の母と親しまれた眞玉橋ノブへの敬意を表し、母なる看護を意味するMother Nurseを研究所のテーマとしました。Okinawa Nightingale Project とセットでシンボルマーク(ロゴマーク)を形成しています。このProjectを通じて①看護のため(看護教育)②子ども達のため(平和学習)③沖縄のため(観光振興)に研究所が貢献できるよう取り組んでいきます」

公式ホームページ MotherNurseへリンク
https://mothernurse.jp/

ノブさんの物語、沖縄の歴史を世界へ

―今後、眞玉橋ノブ研究所で取り組みたいことを教えてください。

良:「現在は完成した絵本『すくぶん』の普及と販路拡大に力を入れていますが、今後はWebサイトの多言語化に向けまずは英語版ホームページの制作を進めたいと考えています。世界中の看護師に眞玉橋ノブの物語や沖縄(看護)の歴史を共有できたらどんな反響が来るかも楽しみです。また、戦後の沖縄看護の歴史に欠かせない人物のひとり米軍政府看護顧問のワニタ・ワーターワース女史についても情報収集(研究)していきます。ワーターワースはノブの恩師であり、彼女の歴史をしっかり伝えることもノブは喜んでくれると思います」

由:「県内の看護学校から8月に講演依頼を受けましたので準備を進めているところです。未来の看護師の卵たちと一緒に沖縄戦や看護の歴史を学び、眞玉橋ノブとの出会いを楽しんでいだけるよう取り組んでいきます」


ワニタ・ワーターワースと眞玉橋ノブ。二人の絆が沖縄看護の再建の原動力となった

―最後にお二人から一言ずつメッセージをお願いします。

由:「沖縄戦の歴史や看護への理解を少しでも深めていただくために、一人でも多くの方に絵本『すくぶん』を読んでいただき、眞玉橋ノブとの出会いを楽しんでいただければ幸いです。また作品に対するご意見や感想もお待ちしています」

良:「戦後75年が経過し戦争の記憶が薄まりつつある時代に、私たちは改めて歴史を見つめ直し、命の尊さや平和の大切さに向き合うことが大事なのではないかと思います。私ども研究所では眞玉橋ノブの物語をテーマに各種講演会やセミナー(勉強会)のほか、ノブの足跡をたどる戦跡ガイドなどにも対応したいと考えていますので、まずはお気軽にお問い合わせください」


眞玉橋ノブ研究所の松岡由香子代表理事(左)と松岡良幸事務局長



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