西表島から本土、海外へと飛び出しつつも、「島に戻る想いしかなかった」という古見将志さん。
故郷・祖納への思いを語る口調は静かながらも、深い愛情があふれていました。
(聞き手・石田奈月)
西表島からニュージーランドへ
一、仲良田ヌ米ン(ナカラダヌマイン)
離リ頂上粟ン(パナリチヂアワン)
二、粒調ビ見リバ(チジシラビミリバ)
弥勒世果報(ミリクユガフー)…
意訳・仲良田の水田の米も、離れ島の畑に実った粟も粒ぞろいの豊作となりました。神に感謝申し上げます。
6月2日、西表島・祖納(そない)の公民館から豊作を感謝する「仲良田節」の歌声が流れてきました。これは十番まである五穀豊穣を祝う歌。祖納では古くから稲作が行われており、豊作を祈願する伝統行事が年に5回行われています。
「今は『シコマ』という初穂刈りを祝う行事の最中です。仲良田節は、今から豊年祭までの期間だけ歌うことが許されるんです」
そう語るのは祖納公民館の青年部長を務める古見将志さん(30)。上原の学校給食調理場で働きながら、妻と娘の3人家族で暮らしています。
祖納生まれの古見さんは、西表小中学校を卒業後、石垣市の県立八重山高校に進学。その後は新潟県にあるスポーツ関連の専門学校で学びました。
「一度島の外に出てみたくて。どうせならなるべく遠い所に行き、外の世界を見ようと思っていました」
専門学校を卒業した古見さんは、東村の「沖縄産業開発青年協会」で農業と建設の技術を学び、西表島に帰郷します。地元で1年建築の仕事をした後、ワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドへ旅立ちました。
「父が西表で稲作をやっていたこともあって、大規模な農業を見てみたかったんです。そこでズッキーニやアボカドのピッキング(収穫)をしたり、ワイン工場で働いたり…それなりの英語力でもなんとかやれました」
高校入学から生まれ島を離れて生活を続けてきた古見さんですが、その心は常に故郷の祖納にありました。
「僕は三男ですし、親から島に戻るよう言われたこともありません。でも、祖納以外の場所に腰を落ち着ける気はなかったですね。故郷に戻って、伝統行事もちゃんと受け継ぎたい。自然にそう思っていました」
古見さんの2人のお兄さんも、それぞれの仕事を持って西表島に住んでいるそう。気負わない自然な郷土愛は、古見家の家風なのかもしれません。
故郷の行事を受け継いでいきたい
「シコマが終わると、7月の末頃に豊年祭が開かれます。稲わらで作った綱で綱引きをやるんですが、その綱を編むのが僕ら祖納公民館青年部の仕事です。朝の6時から一日がかりで編み上げます」
古見さんは21歳の時に青年部長に任命され、延べ6期務めているとのこと。
「僕が一番若いという理由で任命されました(笑)。プレッシャー等はなかったのですが、行事で覚えるべきことが多く、そこは大変でしたね」
祖納では「カミツカサ」と呼ばれる女性がさまざまな神事を執り行います。カミツカサの男兄弟は「チジビ」と呼ばれ、こちらも神事で重要な役を担います。実は古見さんの父の代志人(よしと)さんと叔母さんがこのチジビとカミツカサなのだとか。
「そのせいか、子どもの頃から伝統行事に参加するのは苦ではありませんでした。祖納の行事をちゃんと受け継いでいきたいという思いもあって、ここに帰ってきましたから」
長い歴史や豊かな自然とともに、古き良き文化と伝統が受け継がれている祖納。その担い手として、古見さんは次のように語ります。
「確かに便利ではありませんし、都会の華やかさに惹かれることもあります。でも、ここで生きていきたいという気持ちの方が強いです。今は望んだ生活スタイルで暮らせていると感じますね」
ゆったりした時間が流れる中で、古見さんの瞳は生き生きと輝いているようでした。
(新報生活マガジンうない 2020年7-8月より転載)