刺しゅう人生50余年 職人技が光るオリジナルの刺しゅうでお客さんを笑顔に 「島崎刺繍店」刺しゅう職人・島崎達弘さん


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好きな仕事ができるだけで幸せ

刺しゅう職人・島崎達弘さん 写真・村山 望

金武町キャンプ・ハンセンのゲート前に広がる新開地エリアに、創業48年になる「島崎刺繍店」がある。代表の島崎達弘さん(68)は、15歳のときにコザ市(現・沖縄市)センター通り(現・中央パークアベニュー)にあった刺しゅう店「SEVEN STORE」で見習いとなり、 19歳で独立した。 見習い時代から数えて50余年。好きなことができる幸せをかみしめている。

こぢんまりとした店内に入ると、年季の入ったミシンが目に入った。そのミシンはいすに座って、ちょうど右膝あたりについているレバーを膝で押すことで振り幅(縫い幅)の調整ができ、足下のペダルでスピード調節ができるようになっている。

島崎さんは軽やかにミシンを動かし、「Okinawa」「令和」という文字をあっという間に布に施した。もちろん下書きなし。その速さ、文字の美しさに驚いた。

19歳で独立

絵を描くことが好きで、中学生のときは美術部に所属していた。卒業後は、おじが紹介してくれた刺しゅう店で見習いになった。

「ミシンは難しかったね。慣れるまで何本も針を折ったり、手をけがしたりした。2、3年では絶対できない。10年たっても自信がなかった」と振り返る。初めて作ったものは簡単な「骸骨のワッペン」だった、と店頭に並ぶ同様のワッペンを取り出して見せてくれた。

見習い時代の島崎さん(18歳当時)

4年の見習い期間を経て、19歳で独立。兄が金武町で探してくれた場所で、「ANGEL'S EMBROIDERY STORE」(現・島崎刺繍店)をオープンした。

時はベトナム戦争のさなか。キャンプ・ハンセンの正面ゲート前は米軍人用の歓楽街として栄え、最盛期を迎えていた。

島崎さんの店に来る客もほとんどがマリン兵などの軍関係者だった。ジャンパーや帽子に刺しゅうをして、というような個人の注文もあれば、軍組織から部隊の刺しゅう入りの旗を依頼されることもあった。

外国人カップルの写真をもとに刺しゅうしたジャンパーを持つ島崎さんと従業員(1987年)

現在では客層も変化し、観光客のほか、地元の会社や学校関係からの依頼もある。米軍関係の客は、10人のうち2人いれば多い方だ。

「以前は、この辺りに刺しゅう店が8軒ほどあった。今は自分の店だけになって20年くらいたつかな」と島崎さん。

「時代の流れで、刺しゅうも進化している。今はコンピューターミシンで大量生産したら安く売れるけど、僕らは手動だから値段がまた違ってくる」といい、高くつく„自分だけのオリジナル“を作りたいという人は少なくなった。

壁一面に貼った刺しゅうの原画。コピー機が普及していないころはサイズの拡大、縮小も手作業だった

職人のなせる技

島崎さんいわく、コンピューターミシンにもできないことがあるという。「僕らは影とか光を、絵を描くみたいに刺しゅうすることができるけど、コンピューターにはできない」。

長年経験を積んできた職人の手作業でのみ、表現できる技があるのだろう。

「刺しゅうをして、出来上がったときの達成感が何とも言えない。だけど仕事に完全なものはないから、お客さんは仕上がりをどう見るかなって気になるんだけど、たいていの人はみんな喜んでくれる。それが一番うれしい」と満面の笑みを浮かべ、「好きな仕事ができるだけで幸せだね」と結んだ。

(﨑山裕子)

島崎刺繍店

【住所】金武町金武4286 (マップはこちら
【電話】 098-968-4892

(2020年7月2日付 週刊レキオ掲載)