沖縄県民のソウルドリンク!知ってるようで知らなかった「森永ヨーゴ」の歴史【島ネタCHOSA班】


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転勤で沖縄に来て、スーパーで牛乳を買おうと思い、マッターホルンに乳牛がデザインされたパックを手にとったら「森永ヨーゴ」でした。県民の皆さんにとってはなじみの深い飲料だそうですが、私は初めて見たので驚きました。詳しい歴史など知りたいです。

(那覇市 Kさん)

森永ヨーゴ(以下、ヨーゴ)といえば、県民にとっては身近な乳酸菌飲料ですよね。

県外出身の調査員仲間に聞いてみると、やはり「沖縄に来るまで見たことがなかった」との答え。やはり沖縄県限定なのでしょうか?

歴史をひもとく

県民にはおなじみ、マッターホルンに乳牛のパッケージ。今年の4月にはピーチ味(左)も登場しました

というわけで、西原町東崎の沖縄森永乳業を訪れた調査員。販売本部 部長の喜屋武盛浩さん、取締役で生産本部 工場長の伊波盛秀さんにお話を聞きました。

(左から)販売本部 部長の喜屋武盛浩さん、取締役 生産本部 工場長の伊波盛秀さん

はじめに、ヨーゴは沖縄県限定の商品なんですか?

「はい。2012年の3月から9月にかけて全国発売していたこともありましたが、基本的には沖縄県限定です。県内ですと、離島も含め、ほぼ100㌫のスーパー、コンビニ等の小売店店頭で販売しています」と喜屋武部長。

やっぱり沖縄県限定だったのですか! 逆に身近すぎて、今までそうと知らなかった人も多いのでは?

ここからは、依頼者のKさんの質問について、喜屋武部長、伊波工場長にうかがった内容をまとめていきます。

まず、ヨーゴの歴史から。ヨーゴの誕生はなんと1962年2月にさかのぼります。60年近い歴史がある超ロングラン商品なのですね。

商品開発のきっかけは、同社創業者の新垣守氏(故人)が沖縄県の人たちの健康に寄与したいとの思いから。当初は「ゲンキ ヨーグルト」として発売され、ビン入り。69年から紙パックとなりました。

ちなみに乳酸菌飲料の中では、乳酸菌が生きています。常温では品質が保てないため、冷蔵の必要がありますが、発売当時、県内ではチルド飲料は製造販売していなかったため、冷蔵庫設置も行わなければならなかったそう。普及にはそんな苦労もあったのですね。現在も、製造・保存において乳酸菌のコントロールは重要で「温度の管理に一番気を使う」と伊波工場長は話します。

次に商品名の由来について。こちらは78年に「ゲンキ ヨーグルト」から「森永ヨーゴ」に名称変更したという歴史を知ると解決します。法律が変わったことにより、乳酸菌飲料に「ヨーグルト」という名称が使えなくなったため、ヨーグルトを連想させる名前として「ヨーゴ」にしたのだとか。

さらに、マッターホルンに牛のパッケージデザインの意図はというと…。当初の商品名が「ヨーグルト」であったため、ヨーグルト発祥地のヨーロッパの牧場をイメージしたとのこと。なるほど、歴史を知るといろいろな疑問が一気に解消しました!

地元盛り上げる工夫も

16年には沖縄県推奨 優良県産品にも指定されたヨーゴ。地元密着の商品ならではの取り組みもあるといいます。

それは、パッケージの側面を使い、地域の文化・スポーツ・教育を盛り上げる情報を提供すること。母の日コンクールの図画の入賞作が掲載されるほか、琉神マブヤー、琉球ゴールデンキングス、FC琉球とコラボしたパッケージなど、さまざまな企画を行っています。FC琉球とのコラボでは、選手の写真が名前入りで掲載されていたのは印象的でしたよね。

現在は、沖縄こどもの国とコラボし、パッケージの側面に100円割引券が印刷されるという企画を展開中ですのでお見逃しなく(12月20日まで)。

パッケージの側面を使い、地元を盛り上げる情報の提供も。
甘酸っぱくさっぱりした味わいは、温暖な沖縄にピッタリ。この色合いにも懐かしさを感じる人も多いのでは?

「ヨーゴは、小さい頃からどこのお店に行ってもあった。沖縄のソウルドリンクとも言われます」と伊波工場長。喜屋武部長と共に、「100年、200年と愛される商品になってほしい」と語ってくれました。

(2020年11月5日 週刊レキオ掲載)