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「地元を生きる」を読む 自分の浅はかさ、傲慢さを痛感 100cmの視界から―あまはいくまはい―(85)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

「地元を生きる 沖縄的共同性の社会学」を読みました。私が言語化できずにもやもやしていた、沖縄の格差社会の実情が書かれていて、むさぼるように読み進めました。沖縄県外に住む私は、周りに沖縄出身だと話すと「いいなぁ、沖縄。みんなが助け合っていて、幸せなんだよね」と言われがちです。それは違う、沖縄は決して、みんなが笑って楽しく助け合って暮らしているわけではない、と思いながらも、どう答えていいか分からず「そんなことはないよ。日本一の貧困率だし、基地もあるし、問題をたくさん抱えているよ」と答えることしかできませんでした。

ゆいまーる幻想の沖縄、安定層の「距離化」、中間層の「没入」、不安定層の「排除」。私は安定層で生まれ育ち、無意識にも他の層とは距離を保ちながら生活していたことに気付いたのです。たくさんの友だちとつながっているSNSには、きっと違う層の人もたくさんいるはずだと思い、友人リストを見返してみましたが、驚くほどに違う層の人はほとんどいませんでした。自分の生活がこの本の語る「距離化」の生活にあまりにも当てはまり、衝撃で、落ち込みました。私はいろいろな人の生きやすい社会を築きたいと思っていて、それを文字にしてきたのに、何も知らなかったのです。

毎日が暴力の中にあり、生まれ育った人間関係から逃れられず、選択肢がなく、体と心を酷使する生活。声を奪われている人々。この本を読み始めてから疎遠になった友人、知人が毎晩夢に出てきます。私がやってきたことの傲慢(ごうまん)さ、浅はかさを痛感します。

ハロウィーンに横浜へお出かけ。バラがきれいでした

私が15年前に性教育に興味も持ち、勉強を始めたのは、沖縄の貧困と性の問題を知り、衝撃を受けたからです。今回もその時と同じです。教育が社会を変えると私は信じてきましたが、貧困や依存症、病気など、幾十もの困難さを抱えた人には教育すら届かない。そして戦後の歴史の中で、製造業がほとんどなく、サービス業に頼るしかない不安定な沖縄経済を変える必要があるのだと気付きました。

きれいごとに思えますが、すべての子どもは幸せでいてほしいのです。私に何ができるかはまだ分かりませんが、子どもたちの声を聞き、助けてもらうことが当たり前だと思えるよう、そして彼ら自身が声をあげられるよう、サポートしていきたいです。

(次回は12月8日)

伊是名夏子

いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。

 

(2020年11月10日 琉球新報掲載)