ふと気になったあらゆる物の”境界線” 海に学校、世界遺産まで


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地方部記者が担当地域に愛情を込めて紹介する「J(地元)☆1グランプリ」。吹く風が肌に心地よく、絶好の散歩日和のきょうこの頃。歩いていたら、ふと「ここはどこの市町村だろう」と考えることはありませんか。そこで今月のテーマは「あまくま境目」。見た目には分からないので、意外と気付かない場所も多いでしょう。さまざまな理由や歴史的背景も絡み合って生まれた隣接する市町村の境界、離島県ならでの海の境界を意識しながら、現地を訪ねて歩いてみるのはいかがですか。

恩納間切 ★ 恩納村

恩納村立博物館の学芸員の後藤法宣さん(左)と村史編さん係の職員ら=10日、恩納村立博物館

 プレビュー 中北部の魅力、兼ね備え

異なる植物の種類や山並みなど、北上するにつれ、全く違う姿を見せる沖縄本島北部と中南部。その境目となっているのは「恩納村」だ。しかし植生などの自然や生活・医療圏など中部の要素も含んでおり、両方の魅力を持ち合わせた地域と言える。

恩納村の前身となったのは琉球王国時代に成立した「恩納間切」だ。間切とは現在の市町村のような区切りで、読谷村誌によると1673年に金武間切(現在の金武町)から4集落、読谷山間切(同読谷村)から8集落が合わさり恩納間切が誕生したという。

琉球王国時代から恩納村が北部として認識されてきたようだが、正確な時期や境目などは同村誌にも明記されていない。しかし現在も恩納村内の住所は国頭郡となっており、行政的には北部の位置付けだ。

その一方で、県教育庁の教育事務所や保健所の管轄は中部に組み
込まれている。

また同村博物館学芸員の後藤法宣さんは「村内の地域によっては中南部に多い琉球石灰岩ややんばるで見られるイタジイなどが混在している」と語り、自然環境的にも明確な区別が難しい。
 (下地陽南乃)

中城城跡 ★ 中城村・北中城村

中城村(左側)と北中城村(右側)の境目に立つ、清掃作業員の(前列から)桃原一さん、大湾朝計さん、宮城親明さん、村吉政仁さん=10日、中城城跡

プレビュー 両村が誇る世界遺産

かの有名なペリー提督も「称賛すべき構造だ」と建築技術の高さに驚いたという逸話が残る世界遺産、中城城跡。中城村と北中城村にまたがり、両村ともに観光の目玉にしている。約11ヘクタールの敷地面積のうち9割を中城村が占め、城郭も同村に立地するため、記者の取材中も「ほぼ中城」と声が聞こえる一方で、「入り口は北中だから」と北中城も一歩も譲らず。

戦後の米軍接収により不便な通行を強いられ、分村した両村のはざまに城跡はある。国土地理院の航空写真では、一般駐車場や入場券を購入する事務所部分は北中城村で、城郭やイベント広場は中城村に立地する。ある情報によれば、土地の案分により「人件費も維持管理費も9割が中城村の負担」という。

隣接していたホテル跡地の解体により、中城城跡を中心とした県営公園の整備が進む。それに伴い、中城村側にも入り口ができる予定で「入り口は北中」という“北中プライド”が脅かされつつある。両村の関係者は「デリケートな問題だ…」と述べるにとどめる。

中城村の関係者は「いざこざはないが、合併できれば一番スムーズにいくんですけどね」と笑う。中城村の臨時職員として城跡の美化整備をする、北中城村出身の村吉政仁さんは「両村ともに仲良くし、これからも城跡を大切にしていけたら」と語った。
 (新垣若菜)

開邦中学・高校 ★ 那覇市・南風原町

仮校舎内にある、南風原町(右側)と那覇市(左側)の境界線を指さす開邦高校生=4日、南風原町

 プレビュー 憧れと立地の良さと

校舎建て替えのため、一時的に運動場側にプレハブの仮校舎がある開邦中学・高校。仮校舎をかすめるように、那覇市と南風原町の境界線が走っている。新校舎は旧校舎(南風原町)を取り壊した場所に造られるため、2市町をまたいで建っているプレハブで学ぶのは新校舎完成までのわずかな間。それでも、那覇市に憧れを抱く生徒はうれしいようで…。

仮校舎にある2市町の境界線を目の前にして、11人の男子生徒に「住みたい方に立ってみて」とちょっぴり意地悪な質問をしてみた。すると、南風原町民の宮城湊さん(16)=同高1年=を残し、他全員が那覇市側へ移動した。

「なんでだよ」と、思わず大きな声で突っ込んだ宮城さん。那覇派から「那覇はモノレールがあって移動が便利」「遊べる場所が多いから」と“攻撃”を受け、ひるんでしまった。負けじと南風原のいいところを挙げて見せたが、多勢に無勢、劣勢のままだった。

悔しそうな宮城さんを、離れて見ていた先生たちがいた。「南風原は住宅地も静かで、遊び疲れて帰ったときほど良さが分かるよね」「子どもにはまだ早いかしら」と笑顔。確かに南風原町は「子育てしやすい」「ほどよい都会」などと人気の町で、人口は増加している。南風原町の良さを知るには、高校生にはまだ早いのだろうか。
 (嘉数陽)

平安名崎灯台 ★ 宮古島市

太平洋と東シナ海の境目に位置する東平安名崎=宮古島市

プレビュー 二つの大海、見渡す岬

苦しみの先には楽園が待つという。「なぜこんなつらい思いをしないといけない」。ぶつぶつとつぶやきながら97段の階段を上りきると、眼下に輝く二つの海が数分前のぼやきを吹き飛ばしてくれた。

宮古島市内中心部から車で約40分。島の最東端の東平安名崎は国指定名勝で日本都市公園100選の一つ。全長2キロの岬先端にある「平安名崎灯台」は二つの海の境界線としても知られる。展望台の扉を出てすぐ見えるのが太平洋、背中側が東シナ海だ。

第46代ミス宮古島ブーゲンビレアの真壁那弥さんも「オススメです!」と太鼓判を押す絶景は、見る者を圧倒する。大パノラマで広がる紺碧の海、打ち寄せる白波に息をのむ。

マラソン大会のコースにも設定されており、真壁さんは「きれいな景色に力をもらって完走できた」と胸を張る。

マラソンでなくても、階段を上りきった先にある楽園に、あなたもパワーをもらいに来ませんか?
 (佐野真慈)


宇宙から見れば…

メソポタミア文明も黄河文明もどれも川のそばで発展した。人間にとって、食べる、飲むといった日常生活に水が欠かせないように、昔の人も生きていくために川の周りに人が集まり、発展していったのだろう。

川は地域の境目になることが多い。安謝川は浦添市と那覇市の間を流れ、多摩川の下流は東京都と神奈川県を分け隔てる。川からたどりついた海が国境となることも。沖縄を囲む海は県境であり国境でもある。しかしそもそも宇宙から見れば、国境も県境もない。海あり、グスクあり、校舎ありの「あまくま境目」。境界を越えて「みんな同じ人類」に集約できる。

(亜)

(2020年12月13日 琉球新報掲載)