藤原紀香 女優を目指したきっかけは“W浅野のドラマ”だった


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『抱きしめたい!』制作発表にはキャストが勢ぞろい。岩城滉一、石田純一の若かりし頃の姿も(撮影:本誌写真部)

育った場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやったドラマや歌の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

「’80年代のエンタメがあったからこそ、この世界に興味を持てたのかなと思います。歌番組は欠かさず見ていましたし……。なかでも’80年代を象徴するアイコンは、浅野温子さん(59)と浅野ゆう子さん(60)のダブル浅野かな。お2人が共演したドラマ『抱きしめたい!』は、主題歌の『アクアマリンのままでいて』(カルロス・トシキ&オメガトライブ)が耳に入るたび、今でも映像が浮かびあがるほど印象に残っています」

そう語るのは、’80年代、多感な中・高時代を過ごした藤原紀香さん(49)。当時の思い出の作品である『抱きしめたい!』は、’88年夏にフジテレビ系のナショナル木曜劇場の枠で放映された。

スタイリストとして自立しているキャリアウーマン・麻子(浅野温子)と、幼稚園時代からの腐れ縁で、麻子に甘え、ときには麻子のボーイフレンドも誘惑する自由な専業主婦・夏子(浅野ゆう子)の2人の主人公が、バブル景気に沸く都会的なライフスタイルのなかで織りなすラブコメドラマ。

平均視聴率は18.5%で、当時の『女性自身』でも《「抱きしめたい!」ダブル浅野 気になるファッション・カタログ あの服はここで買える!》《3週連続 浅野温子大研究》という特集記事が組まれているほどの社会現象となり、連続ドラマ放送後も、スペシャル版が4作も放送された。

「ダブル浅野のお2人はカッコよく、都会の大人の女性に憧れるきっかけにもなったドラマです」

ダブル浅野のファッションはもちろん、ドラマで描かれる女性の生き方にも感銘を受けた。

「温子さんは、当時時代の先端をいく大きな携帯電話を使っていたり、外車を乗り回して、自立したキャリアウーマンを演じていて、岩城滉一さん(69)や本木雅弘さん(55)など、色気のある男性が、ダブル浅野と恋愛模様を繰り広げるのも見どころでした。ドラマのあった翌日は、友人と『これからの時代はフローリングでコンクリートのマンションなのね~』と都会での洗練された生活や、常にワクワクさせてくれる芸能界への憧れも湧きました」

神戸の大学進学後は、ロングヘアにして、ボディコンスタイルで鎖骨も出したファッションにもチャレンジしていたそう。そのころ、母親が“お見合いの箔付けに”と内緒で応募したミス日本コンテスト大会の書類審査を通過。ついには見事グランプリに。

「東京のテレビ局から、アナウンサーにならないかというお話もいただきました。でも、女優の道を目指そうと思ったのは、このドラマの影響があったからかも」

しかし大学卒業後、芸能界を志して上京したいという紀香さんに両親は大反対。

「“娘がへんなことを言いだした”と親族一同の騒ぎになり、連日話し合い、諦めるよう説得を受けました」

ダブル浅野が演じた、思いのままに生きる“強い女性”像が、芸能界を望む紀香さんの背中を押したのだろう。’95年の阪神・淡路大震災も、夢への思いを強くした。父親は断固として反対したが、母親にはなんとか認めてもらえて、上京への道が開けたのだった。

その後の活躍は、誰もが知るところ。今年4月から上演予定の舞台『魔界転生』では、人生の道標でもあったダブル浅野の1人、浅野ゆう子との共演があるという。

「ゆう子さんが淀殿役、私は天草四郎の姉“お品”として、初めて共演させていただける機会に巡り合いました。稽古はこれからなのですが、素敵なお役をいただき、とてもワクワクしています。まだコロナ禍は続きそうな世の中ですが、素敵な先輩方やエネルギッシュな世代の役者陣とともに、見に来てくださる皆さんが、少しでも元気になれるような作品をつくるべくつとめたいと思います」

「女性自身」2021年2月2日号 掲載

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