まんがで伝える沖縄戦 「母と笑いあったあの日」

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R1…北部疎開

米軍が上陸し、沖縄本島中南部が激戦地となる可能性が高くなったことから、沖縄県は1945年2月、中南部の住民を北部の9町村に移動(疎開)する計画を立てた。疎開は生命保護だけではなく、戦争の足手まといになる住民を立ち退かせるという性格を帯びていた。米軍が艦砲射撃を始めた3月末から住民の移動が本格化した。3万人以上が北部に避難したとみられている。住民は避難小屋や山奥に隠れていたが、食料不足が深刻化し、餓死した住民もいた。飢えに苦しむ日本兵との間で食料の奪い合いも起きた。

R2…マラリア

マラリア原虫を持った蚊によって起こる伝染病。中南部から北部に避難し、その後、米軍が設置した収容地区で暮らすようになった住民の多くがマラリアに苦しみ、命を落とした。石垣島、波照間島では日本軍の命令で住民がマラリアに汚染されている山奥や西表島の西部に強制移動させられた。マラリアで亡くなった人は約3800人にも上る。日本軍の食料確保が住民に対する疎開命令の主な理由だったと言われている。



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