まんがで伝える沖縄戦 南洋からの問いかけ(後編)


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避難していた壕に砲弾が当たり、父は即死。弟のケンジも、母も息絶えぼく一人だけが生き残りました。

(前編)はこちら
https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-1273171.html

R1…チューロ収容所

テニアンの地上戦で米軍に捕らわれた約1万人が収容され、その中に沖縄出身者もおよそ8千人いました。戦争で両親が犠牲となった子どものための孤児施設もあり、後に学校教育が行われる「テニアンスクール」も開設されました。1946年には収容所にいた全員が日本や沖縄に引き揚げました。

R2…南洋群島帰還者会

南洋の島々から沖縄へ引き揚げた県人らは1948年、南洋群島帰還者会を設立しました。帰還者会は68年、犠牲者の慰霊と遺骨収集のため戦後初の墓参団をつくり、サイパンとテニアンを訪れます。この年、慰霊碑「おきなわの塔」がサイパンに建てられました。78年にはテニアンにも「沖縄の塔」が建ちました。帰還者会はその後も墓参を重ねましたが、帰還者の高齢化などから参加者が減少し、2019年の第50回を最後に組織的な現地慰霊祭は終了しました。