小室哲哉と調停26カ月…KEIKOが譲れなかった2つの離婚条件


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《私KEIKOは、この度、小室哲哉さんとの離婚調停が成立いたしましたことをご報告させて頂きます》

2月26日、所属事務所のHPに直筆文書を掲載し、小室哲哉(62)との結婚生活に終止符を打ったことを報告したKEIKO(48)。くも膜下出血で倒れてから約10年になるが、その文字は美しく、しっかりと書かれていた。

KEIKOの実家は大分県にある老舗料亭。大分県に住む彼女の知人はこう語る。

「'18年、看護師女性との不倫疑惑報道の後に小室さんが会見を開きました。KEIKOさんの健康状態について『小学校4年生くらいの漢字のドリルが楽しかったり』などと語っています。特にその言葉にKEIKOさんは強いショックを受けたのです。そのときはすでに実家のお手伝いもできるぐらい回復していたのですから……。小室さんの言葉がよほど許せなかったのでしょうね。最近は周囲には“早く離婚したい”と、しきりに言っていたそうです」

確かに本誌も'16年8月、44歳の誕生日にKEIKOを目撃していたのだが、足取りも話しぶりもしっかりしており、小室からプレゼントされたと思われる高級バッグを持ってうれしそうにしている姿が印象的だった。

「『週刊文春』の報道によれば、小室さんとKEIKOさんの調停は'18年末ごろから始まったそうです。最初にKEIKOさんが別居中の生活費を求める調停が始まり、それが結審した後は、小室さんが離婚を求める調停が行われました」(芸能関係者)

■実母が語っていたKEIKOの近況

調停期間は26カ月にも及んだようだが、KEIKOが譲れなかった離婚条件は2つあったという。

「月々の生活費の支払いと、財産分与です。特に財産分与は、“慰謝料分”も加算しての分割を求めたと聞いています。もちろんお金の話ではありますが、KEIKOさんにとっては、小室さんにきちんと結婚生活破綻のケジメをつけてもらいたいといいう気持ちも強かったのでしょう」(KEIKOの仕事関係者)

調停を続けるなかで、小室も自身の罪を認める気持ちになったようだ。スポーツ紙のインタビューでは次のように語っている。

《(不倫問題)当時の僕は澱んでいた。思いやりがなく、自分本位で…。愛情や友情というより、人としての手前の部分から逸脱していた》(スポーツニッポン・'20年10月23日付)

昨年11月にKEIKOの実家料亭を訪れた男性によれば、

「お母さんに、KEIKOさんの様子を聞きました。『娘は元気なんですけれど、恥ずかしがって、なかなか(お客さんの前には)出てこないんですよね』と、笑っていらっしゃいました」

KEIKOの離婚報告文書には《アーティストとしても皆様に恩返しができるよう精一杯努力して参ります》といった一文もある。

調停を耐え抜いた成果は、今後のアーティスト活動復活にも生かされていくに違いない。

「女性自身」2021年3月16日号 掲載

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