羽生結弦 交流12年…八戸の研磨師にブレード託し続ける理由


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(写真:アフロ)

「今は通しで曲をかけながら、動きの確認に重点を置いて練習を繰り返している時期でしょう。今年は震災から節目の年。被災経験のある羽生選手にとっては、今度の世界選手権は特に思い入れの強いものになるのではないでしょうか」

こう語るのは、スポーツライターの折山淑美さんだ。3月24日からストックホルムで開幕するフィギュアスケート世界選手権。羽生結弦(26)にとって今季初の国際試合となる予定だ。この大会について、冒頭の折山さんの意見に同調するのは、スポーツ紙記者。

「東日本大震災から10年。羽生選手は仙台出身かつ被災者の一人として、折に触れ寄付や言葉を通して被災地を気にかける姿勢を見せてきました。彼は“自分が活躍することで、多くの人に被災地のことを思ってもらいたい”という考えでやってきた。節目となる年に再び世界の舞台で活躍することで、被災地の人々に希望を感じてほしいと考えているはずです」

羽生は16歳で、ホームリンクだったアイスリンク仙台での練習中に被災。同リンクで支配人を務めていた新井照生さんが回想する。

「地震の瞬間、私は営業活動で外出していたのですが、そのときリンクにいた羽生選手はスケート靴を履いたままリンクから這いつくばるように外へ出たと聞いています。幸いなことにアイスリンク仙台ではケガ人はいませんでした。でも、あの震災では羽生選手と同年代の若い方もたくさん被害に遭っている。彼も相当なショックを受けたと思います」

羽生は自宅全壊で、4日間の避難所生活も経験。またアイスリンク仙台も同年7月まで営業休止に。

「余震で、氷を凍結するパイプが破損してしまって。おまけに電力不足もありましたし、あの震災の状況で『すぐにアイスリンクを復活させたい』とはとても言えませんでしたね」(新井さん)

■今も依頼する八戸の研磨師との絆

滑る場所を失った羽生は、震災の10日後から横浜のリンクで練習を再開することに。そして“被災で落ち込む人々を勇気づけたい”という思いから熱心に全国各地のアイスショーを回った。その数、なんと震災から半年で60カ所。

幼いころから羽生を知る元専属トレーナーの菊地晃さんは'11年の秋に「結弦の体に触ってビックリしました」と言い、続ける。

「久しぶりにうちを訪ねてきたので触れてみたら、脚の筋肉がそれ以前と全然違っていました。アイスショーと練習で相当に滑り込んだせいで鍛えられたのでしょう。どれだけ頑張ったのだろう、と思うと僕は涙が出そうになりました」

羽生がアイスショーで訪れた地の一つに青森県八戸市がある。会場となった新井田インドアリンクの坂本久直館長はこう話す。

「震災後は、ショー以外のときでも、仙台からこちらのリンクまで練習に来ていたことがありました。アイスショーでも何度か来てくれているのですが、毎回、試合と変わらず全力。出演時は必ず4回転を入れていました。当時は4回転を跳ぶ選手は少なくて彼もよく失敗していたんですが、跳べようが跳べまいがやってました。そういう姿に私も力をもらいましたね」

坂本館長によると、羽生は現在でも八戸と縁が続いているという。

「八戸には、羽生選手のスケート靴のブレードを研ぐ研磨師がいるんですよ。だからいまでも羽生選手のお父さんが仙台から3時間ほどかけて定期的にやってきます。最近では(昨年12月の)全日本選手権の前に来てましたね。そのときには試合用、練習用など4足分研いだみたいです」

この研磨師は吉田年伸氏という。実は、吉田氏は羽生の仙台時代のコーチだった阿部奈々美氏の夫だ。

「羽生選手と吉田さんの交流は'08年ごろから始まりました。吉田さんがアイスリンク仙台の近くでフィギュア用品店を始め、そこに羽生選手が通っていたそうです」

そう話すのはスケート関係者。

「羽生選手は、'12年からは仙台を離れカナダを本拠地としていますが、海外にいてもブレードの研磨は吉田さんにお願いし続けていたんです。吉田さんは研磨機1台を羽生選手専用にし、ミリ単位の要望に応えるそうです。羽生選手が滑り、吉田さんが研ぎ、また滑って……ということをその場で繰り返して、2人で調整することもあったとか。そのときは9時間それをやり続けたみたいですよ」

■ブレードは“希望の象徴”

フィギュアスケート評論家の佐野稔さんは、フィギュア選手にとってのブレードの重要性について、

「武士にとっての刀のようなものです。研ぐ前と研いだ後で滑る感覚が劇的に変わることもあるので、メンテナンスは大事。誰に研いでもらうか、こだわりのある選手にとっては重要だと思います」

羽生が吉田さんに研磨をお願いし続けるのは、ただ“腕がいいから”というわけではないように思える、と前出のスケート関係者。

「羽生選手は“エッジ(ブレードの刃の部分)は命よりも大切かも”と言っていました。彼は試合前にブレードのカバーに“大事なブレードを守ってくれてありがとう”と祈りをささげるルーティンをするんですが、このとき脳裏には吉田さんや、奥さまである奈々美コーチ、そして被災地のことが頭に浮かんでいると思うんです」

羽生とブレードについて、次のようなエピソードもあると続ける。

「10年前の震災から数日間、羽生選手は“こんな状況でスケートのことを考えてはいけない”と思っていたようです。被災時にスケート靴のまま外に出たことでブレードもボロボロになってしまって……。でもお母さんが『スケート靴を修理しよう』と言ってくれたことで、再びスケートに向き合うことができたそうです。ブレードは“何度でも前を向く”という希望の象徴でもあるのかもしれません」

被災地への思いを“魂のブレード”に込めて、来る世界選手権に挑む羽生。狙うは“王座奪還”だ。

「大会には彼が現在2連敗中のネイサン・チェン選手(21)も参戦します。熱の入ったパフォーマンスで雪辱を果たしてくれることでしょう」(前出・スケート関係者)

“東北の力”の結集で、羽生の技にも磨きがかかることだろう。

「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載

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