松山英樹「高3で将来の約束を」恩師語る後輩妻の一途な15年


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日本人初のマスターズ優勝を果たした松山英樹(写真:アフロ)

「優勝直後に英樹から電話がありました。電話越しの声は涙で震えていて、うまく言葉になっていなくてね。短いやり取りしかできませんでした。でも、言いたいことはすべて伝わってきました。奥さんの芽緯も優勝直後に電話をくれました。『監督、よかった!優勝しました!』と、彼女も泣いて喜んでいましたね」

そう語るのは、東北福祉大学ゴルフ部の阿部靖彦監督。松山英樹(29)と妻・芽緯さん(27)を大学時代に指導してきた恩師だ。

4月11日、松山は日本人初のマスターズ優勝という快挙を成し遂げた。2人をよく知る阿部監督は「芽緯がいたからこそ、英樹は優勝できたのだと思います」と語る。

中学時代からゴルフ部で一緒だったという松山と芽緯さん。マスターズ優勝に至るまでには、松山を支え続けた妻の一途な“15年愛”があった――。

愛媛県松山市で生まれ育った松山。実父の影響でゴルフを始めたのは、4歳のとき。父の熱心な指導もあって実力をつけ、中学2年生のときには名門・明徳義塾中学校へと編入。その後に入学してきたのが、現在の妻・芽緯さんだった。

15年前の芽緯さんについて、明徳義塾中・高ゴルフ部の総監督を務める高橋章夫氏はこう語る。

「芽緯は小学校までをハワイですごした帰国子女。英樹の2学年下でしたが、同世代の子よりもしっかりしている印象がありました。ゴルフに対しても真面目に向き合っていて、高校時代には日本女子アマで四国代表になったこともありました。

当時は、英樹も芽緯も寮生活。2人とも、真剣にゴルフと向き合っていました。そういう意味では、似たもの同士だったと言えるかもしれませんね」

実はかなり早い段階から、2人はひそかに交際していたという。高橋監督が続ける。

「本人たちは内緒にしていましたが、付き合っているようだという話も聞こえてきていました。

英樹が東北福祉大学に進学した後、芽緯が高校3年生になったときのことです。秋の進路相談で彼女に『東北福祉大学に行くのか?』と聞いたんです。そうしたら、芽緯は迷うことなく『はい!』と答えてね。2人の間では、とっくに将来の約束をしていたようです」

■プロゴルファーから普通のパパに

実際、大学卒業直後には周囲に結婚相談もしていたという。前出の阿部監督は、芽緯さんの性格についてこう評する。

「海外で育っているからか、考え方に芯があるんですよね。真面目でしっかり者だったので、女子ゴルフ部のキャプテンを任せていました。また卒業後も、大学職員として女子ゴルフ部のコーチも務めてもらいました」

それでも最終的には自らのキャリアではなく、夫のサポートに専念することを選んだ芽緯さん。そんな「彼の夢に人生を捧げる!」という覚悟が、今回のマスターズでも大きな支えとなっていたようだ。阿部監督が続ける。

「英樹は海外ツアーも一人で移動しています。というのも、彼は家庭とゴルフをしっかり分けて考えているんです。勝負の世界ですからね。メリハリをつけたいのだと思います。

ただ芽緯はゴルファーの大変さを熟知しているので、そのあたりの心境をしっかり理解しています。だから『彼にはべストな環境を選んでほしい』と言って、3歳の子供といっしょに日本で待つようにしているみたいです。英樹にとっては、“最高の理解者”なんじゃないでしょうか。

帰国したとき、英樹はプロゴルファーから普通のパパに戻ります。逆に言えば大切な家族が日本で待っているからこそ、彼はアメリカで頑張ることができるんです。それが、今回の快挙につながったのだと思います」

これまで芽緯さんと阿吽の呼吸で歩んできた松山。高橋監督は最後に、こう笑った。

「2年くらい前、芽緯や子供を連れて3人で会いに来てくれたんです。赤ちゃんを抱っこしたときは、うれしくてね。もう、おじいちゃんのような心境なんです(笑)。

だから、今回の優勝も格別です。表彰式の後に電話をくれたのですが、英樹は『監督、やりましたよ!』と興奮していて。私も本当にうれしかったですね」

「女性自身」2021年5月4日号 掲載

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