森口博子語る「私の人生を変えた松田聖子さんとの出会い」


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『SWEET MEMORIES』のアダルトな世界観に魅了されたのは歌手を目指していた中学生時代のこと

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にはやった歌やドラマの話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

「私のコンサートでは、お客さんとの距離を縮めて一緒に盛り上がるため、みなさんの知っている曲をカバーするコーナーがあるのですが、ジャジーな『SWEET MEMORIES』(’83年)はよく歌わせてもらっています。聖子さんの曲をカバーするとどうしてもモノマネになってしまうことが多くて……。でも、この曲は、“自分らしく”歌えるんです」

『SWEET MEMORIES』に特別な思い入れを持っているのは、歌手でタレントの森口博子さん(53)。歌手になることは、4歳からの夢だったという。

「歌謡曲・ポップスが好きで、5歳から小6まで、全国放送の『ちびっこものまね紅白歌合戦』(テレビ朝日系)に出場しました。その日は母と一緒に、地元の福岡から東京に出て、中野サンプラザのステージに立つのですが、生バンドの演奏で歌う快感、お客さまの声援に包まれたときのエネルギーは、いま思い出しても血が騒ぐほど興奮します」

’70年代は太田裕美や岩崎宏美の曲をよく歌い、別の子ども歌番組では、アグネス・チャンの歌を披露して、グランドチャンピオンに輝いたことも。家族や親戚、学校の友達の前で歌うのも大好きだった。

「うちは小2のときに両親が離婚して、4人姉妹の母子家庭でした。けっこうサバイバルな環境でしたが、歌を歌うことで、家族がひとつになって盛り上がれたんです」

歌う喜びをつねに感じていた少女にとって、松田聖子は神様的な存在だ。

「小学6年のときに聖子さんを見て、衝撃を受けました。“聖子さん=女のコのキラキラ”という印象で、髪形もマネして(笑)。“し”を“shi”と抜けるように発音するシュガーボイスも魅力的。聖子さんの“さ行”や“た行”には、スイートが宿っています!」

歌手への夢を強く持ちオーディションを受けまくった中学時代。なかなかチャンスをつかむことはできなかったが、ひたむきに努力を重ねていた。そのころ出合ったのが『ガラスの林檎』と、そのカップリング曲の『SWEET MEMORIES』だった。

「『ガラスの林檎』の、細野晴臣さんのコード進行と、松本隆さんの幻想的な情景が浮かび上がる歌詞にやられました。ドラマチックなイントロから始まる『SWEET MEMORIES』は、ジャズのアダルトな世界にド肝を抜かれました。どちらの曲もアレンジが大村雅朗さん。私が好きな聖子さんの曲を調べると、だいたい大村さんが関わっていらっしゃるんです」

13歳からスクールメイツに所属し、アイドルが福岡でテレビに出演する際に、バックダンサーとして参加していた森口さん。

「聖子さんのステージで、本番前に目が合って、ニコッて笑いかけられたことも。目の中に星がキラキラ光っていました」

「女性自身」2021年6月22日・29日合併号 掲載

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