賞レースがアイデンティティー、魂込めてネタを作り続ける<初恋クロマニヨン・松田しょうさん>◇沖縄芸人ナビFILE.39

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4年目に突入したこの連載。沖縄芸人さんの本音や魅力を引き出し、読み応えたっぷりの記事にできるのは、ナビゲーター「初恋クロマニヨン・松田正(まつだ・しょう)」さんの力量あってこそ。県内賞レース常連の実力派トリオのネタを作り、キャリア充分の「芸人・松田しょうに注目したい!」ということで編集担当者がインタビュアーになりました。この連載が第2フェーズに移行する、節目の回になっています。

(執筆:フリーライター・饒波貴子)




「沖縄芸人ナビ」は毎週木曜発行の「週刊レキオ・沖縄芸人ファイル」と連動中。毎月第3週のレキオに関連記事を掲載していますのでご覧ください。




ナビ芸人として頑張ってもらっている松田正さん(よしもとエンタテインメント沖縄所属 / http://yoshimoto-entertainment-okinawa.jp/)が主役! お笑いを始めた頃の話やアマチュア時代、FECに入団した後に東京で活動して現在へ。松田さんのお笑い人生を語ってもらいました。


中学時代にお笑い活動開始、カルテットも結成


―3年過ぎても取材を受けてくれる芸人さんが尽きず、沖縄のお笑いシーンの切磋琢磨感が伝わります。ナビゲーターとして、どんな気持ちで取り組んでいますか?

松田:スタート当時はこんなに長く続く企画になるとは想像できず、沖縄の芸人さんと事務所のみなさんの協力をありがたく思うばかりです。当日も失礼がないように質問しようと、自分なりに気を付けているつもりです。深掘りするため、3日前からエンジンをかけて質問を準備して、仲が良い芸人さんにも粗相がないように気を遣っていますよ(笑)。

―話している時間はとても楽しそうで、松田さんの訪問を歓迎していると思います。マネージャーさんが「知らなかった」と驚くくらい、ツッコんだ質問もあるみたいですよ。

松田:芸人さんは照れ屋が多いんですよ。そういう性格の人がお笑いをやっているのか、それとも続けるうちにそうなるのか・・・!? 照れ屋同士なので、こんな機会でもないと真剣な話はしないでしょうね。普段はアホな話でワイワイする人種なので。ちなみに僕もすごく照れ屋です(笑)。

―「芸人とは照れ屋である」。松田ナビの格言になりそうです。対談を読むと松田さんは、仲間に慕われ一目置かれている印象です。「昔は尖がっていた」という証言が気になるのですが…(笑)。

松田:一目置かれているのではなく、先輩方たちに限っていえば「あのチンピラが大人になったな~」と感慨深いんじゃないでしょうか。後輩に取っ付きにくいと思われるのは良くない傾向。反省します(笑)。全体論になりますが、お笑いを始めたての頃は「俺が一番だ!」という気持ちがありますよね。「お前らなんか面白くない」と上の世代に対抗心を抱きがちで、中でも読谷という小さな村で育った僕は、その気持ちが強かったんですよね。本当にチンピラです(笑)。
 



―そういう気持ちは、創作意欲が湧くエネルギーになります。松田さんのヒストリーを掘り下げますが、子どもの頃からお笑いが好きでしたか?

松田:はい、本土のお笑いをテレビで見ていました。そして幼稚園生の時、親が録画してくれた笑築過激団の『お笑いポーポー』を見て、沖縄のお笑いが大好きになりました。母親が問い合わせてファンクラブに入会できたので、会報やサインが届きました。退会した記憶がないので、今も現役会員だと思います(笑)。「お笑いやりたいな~」という気持ちは、ダウンタウンさんたちを見てからですね。中学生になって野球部に入ったのをきっかけに、人前で何かをやるようになりました。生まれて初めて漫才をやったのは、全校生徒を前にした学校行事。僕は中1で、相方は野球部のひとつ年上の比嘉憲作先輩でした。今の相方、比嘉憲吾(ひが・けんご)のお兄さんです。

―1発目が全校生徒の前とはすごいですね!

松田:学生でみんなのテンションが高く、大爆笑を取りました。今までの芸人さんたちへのインタビューで「学生の時に大爆笑取った!」と多くの人が話していて、その快感を求め続けて今に至る・・・それが我々芸人のヒストリーですが、僕もその中の1人です(笑)。

―行事1回のためのコンビだったんですか?

松田:そのつもりでしたが、憲作先輩とは結局3回くらいやりました。でも先に先輩の卒業時期が来たので、次の相方を探そうと思ったんです。そしたら憲作先輩の弟が入部してきたので、僕にとってはサラブレッド。一緒にお笑いやろうと声をかけました。そして憲吾が「同級生に面白いヤツがいる」と言って、新本奨(にいもと・すすむ)も加わりトリオになりました。実は最初はカルテットだったんですよ。「もう1人の面白いヤツ」ということで国吉大樹(くによし・たいき)もメンバーで、僕と一学年下の3人でやっていたんです。トリオでも珍しいのに、カルテットはなおさらいないですよね。僕が中学校を卒業するまでの約2年を4人でやりましたが、僕が一年先に高校に行くことになり、そのタイミングでブランク期間に突入しました。

―そこからなぜ、またやろうという事になりましたか?

松田:国吉は違う高校に行き、離れました。今では彼は「クニヨシTV」というYouTubeチャンネルで有名になり、人気の野球YouTuberです。新本と憲吾は読谷高校で一緒になりましたけど、一年先に入学した僕は同じ事の繰り返し。最初は憲吾のお兄さんとコンビでやって、先にお兄さんが抜けるから新本と憲吾とトリオになりました。憲吾のお兄さんからは今も連絡があり、「トリオネタ書くから3人でやってくれないか」と言われ楽しみにしていますが、台本がまだ来ません(笑)。
 

「僕らが一番面白い」と突き進んだFEC~東京時代

―学生時代の活動を経た後に「演芸集団FEC」入団へつながるかと思いますが、プロでやっていこうと相談しましたか?

松田:プロとしての活動はぼんやりイメージしていました。高校卒業間近の頃、家の前の電信柱にFEC主催の「フレッシュお笑い選手権大会」のポスターが貼られているのを見付けたんですよ。お笑い関連の催し物があることを初めて知りました。今だから話せますがそのポスターをこっそり持ち帰り、体を震わせながら家で眺めていました(笑)。「出たい、どうしよう・・・。出るなら新本と憲吾と一緒にやるしかいない」と思いました。2人に伝えたら「出る」という返事だったので野球部の監督に了解をもらい、学校から飛び出したんです。世間の人に僕らのお笑いを見てもらう機会ができ、世界が広がった感覚でした。

―学校の仲間以外の前で、初めて漫才を披露した感触は?

松田:総勢70~80組のエントリーがあり、控室が大人ばかりで子どもだった僕らはめちゃめちゃビビりました。「俺たちに敵うヤツらなんていない」と思っていたのに、「とんでもない! ちょっとおじさんみたいな大人もいるし僕らが勝てる訳ない」と完全に気おされしました。でも本番までに平常心になり、予選を通過して準優勝にあたる特別賞をいただくことができたんです。ただ「俺らより面白い人はいない」という気持ちで出場しているので、受賞を素直に喜ばず「2番目かい!」と不満だったんですよね。優勝は「エコノミクス」という大学生コンビ。その時に「2位だったから続けていこうかな・・・」という気持ちになりました。もし予選落ちや下位だったら、お笑いを辞めるつもりだったんですけどね。
 



―高校生で準優勝はスゴイですよ! 一番にならないと、と焦りましたか?

松田:はい。思春期の少年は根拠のない自信の塊で、2位という事実が認められないんです。「俺の才能はこの世で一番じゃないのか!? なぜ世界は俺を認めない!?」と疑問ばかり(笑)。その後の進路にも迷いました。そのままFECに入るのが最善なのか、甘い考えですが「M-1グランプリ」で良い成績を出して本土の事務所に行くのはどうかなど。若いからこそいろいろ悩んだんです。フリーのままで「フレッシュお笑い選手権大会」への出場は続け、2年連続特別賞で3年目に優勝。良い条件で活動できないかと考えていましたが、その翌年の「フレッシュ」では受賞できませんでした。それが自分たちの甘さに気付くきっかけになり、活動しながら鍛錬しないと勝てないと思いFECに入りました。

―活動しないと上に行けないという気付きにハッとさせられます。FECに入った後、環境の変化や刺激はありましたか?

松田:僕自身は虚勢を張って尖りまくっていた時期(笑)。当時はまーちゃんさんといさお名ゴ支部さんのコンビ「ウーマクーボーイズ」や「プロパン7」がライブで大爆笑を取っていて、僕らは全然笑いが取れない。基礎が違うと感じ壁にぶち当たりました。学校行事や「フレッシュ」の観客は、出場者がアマチュアでも楽しんでくれますが、事務所ライブのお客さんの目線はシビアで、「なんだコイツら、やってみろよ」と冷静に見ていたはずなんですよね。甘く考えていたと痛感しましたが、「お客さんにウケているのは先輩たちかもしれないけれど、面白いのは俺たちだ」と思い続けていました。今振り返るとやっぱり虚勢でしたね。

―最初の壁はどうやって乗り越えましたか? 

松田:ネタ作りに真剣に向き合うと、不思議なことにだんだんかみ合っていった気がします。予選ライブで負けてばかりでしたが、3カ月目くらいにはアウェイだったライブでウケるようになった感触があり、本選ライブにも出られるようになりました。

―もがき苦しむ時期はあるでしょうが、3カ月で乗り越えたのならとても早いです。

松田:早かったなと正直思います(笑)。トリオなので差別化を図れて独自性を出せたという運の良さがあり、そこが強みになったのかもしれません。事務所内で、僕らが特に意識していたのは「プロパン7」。絶対王者の雰囲気があり「打倒プロパン7!」を目標にしていました。年一回の事務所内の大会で、入所した年はプロパン7が優勝で僕らが準優勝。2年目に僕らが優勝し、三年目はプロパン7が優勝して僕らが準優勝という結果。その後僕らは2009年に抜けたので、プロパン7さんと戦ったFEC時代の三年間でした。


歴史上の人物・身近な人、あの人もこの人もリアルな姿に!<プロパン7 けいたりんさん>◇沖縄芸人ナビFILE.29
https://ryukyushimpo.jp/style/article/entry-1261504.html

 

―二年目で勝ったから悔いはなかったのですね!?

松田:悔いはありました。僕らがFECに入った年、県内賞レースの「O-1グランプリ」が始まり出場したら、あんまりウケなかったんです。元々、学校の体育館でやっていたのが僕らのお笑い。そこから飛び出してアマチュアながらも世間の人たちに見てもらう大会に出て、次はプロとして活躍する人たちがいる事務所に入り、お客さんにウケるようになった。そうやって段階を踏んできたところで、「O-1グランプリ」にエントリーして事務所の外へ。予選から本選に上がることはできましたが良い結果を残せず、「外に出れば出るほどウケなくなっていく苦しみ」が悔いになりました。東京での芸人活動に憧れFEC退所をきっかけに上京しましたが、やっぱり「外問題」にぶち当たりウケなかったですね~(笑)。

半年くらい試行錯誤して少しずつウケるようになりましたが、大爆笑には及びませんでした。毎月15本程度ライブに出て、事務所のオーディションを受けていましたが、1年半くらいはくすぶっていましたね。でも徐々に笑いが起き、観客投票のライブでたまに一位に選ばれるようになりました。そして東京に出て2年目にあたる2010年、「M-1グランプリ」の準々決勝まで進んだんです。約70組だったと記憶していますが、僕らだけが事務所に属さない唯一のフリー芸人。なかなかスゴイことで、「俺たちやっぱりイケるな」と失いかけていた自信を取り戻すことができました。当時から東京にいた三日月マンハッタンさん、しゃもじ達は「追い風が来てるぜ」と励ましてくれましたね。実際に数カ所の事務所から声がかかり考えている中、吉本興業が沖縄に事務所や養成所を開設すると聞き、「一期生は事務所の推し芸人になれるから絶対いい」という周りの勧めもあり、「実家から通えるし、推されに帰ろうか」という気持ちになって、2011年に戻ってきました。東京にいたのは2年半でした。

―いろんな悩みがあったんですね。3人ともすぐ沖縄に帰ろうと、同じ気持ちになったのでしょうか?

松田:悩みまくりましたし、帰るか帰らないかでめちゃくちゃもめました。それまで一度も反対意見を言わなかった新本が、「帰りたくない、東京でやった方がいいと思う」と言ってきましたからね。話し合いを続けながら、東日本大震災の影響でアルバイトがストップする現状も重なり「よしもと沖縄に行こう!」と決意しました。M-1準々決勝進出を経験した後、ちょっと光が見えている状態で帰ってきたんです。
 



解散危機を経て(!?)、自分の面白いを追求するネタ作り


―歴史ある日本一のお笑い事務所、吉本興業さんの所属芸人になったことで、感じたことや驚きなどありましたか?

松田:沖縄でやっていく限りは、よしもとブランドはあまり関係ないのかもしれないと思いました。演芸集団FECやオリジン・コーポレーションは基盤も実績もありますが、よしもと沖縄は設立したばかり。そんな中、関係者から警戒されたり事務所対決をあおる空気感があったりして、そういった雰囲気から遠ざかりたい気持ちになりました。個人戦に切り替えたい思いから県内賞レースで良い結果を出すために頑張ろうと決め、他事務所の芸人さんと仲良くしたい気持ちも強かったです。

―その気持ちが、後に「沖縄芸人ナビ」のナビゲーター役につながったのかもしれませんね(笑)。黒船に乗っているウチナーンチュという見られ方は、つらいですね。

松田:事務所や芸人さん同士は争っているつもりはなくても、周りがはやし立てている空気を感じて疲れていたんだと思います。元々FECにいた僕は沖縄組だったのに、戻ってきて歓迎されないのは寂しかった・・・みんなと仲良くして個人でも結果を残そうと思いましたね。

―賞レースの話題といえば、今年夏の「お笑いバイアスロン」。2度目の優勝おめでとうございました。王者になるのはもちろん素晴らしいですが、初回から9年連続本戦出場は初恋クロマニヨンさんだけで、注目すべき実績です。

松田:紹介映像で「9年連続で出ているトリオ」と言ってくれたりしますが、視聴者はそこまで覚えていないのが現実でしょうから、自分たちの中で誇りに感じる程度でいいです(笑)。「O-1グランプリ」も回数を重ねて気付いたのは、習慣としてネタを考えてネタ合わせをしていないと勝てないということ。最初の頃は、持ちネタを一夜漬けレベルでブラッシュアップして大会本番に臨む感じでやっていましたが、それでは勝てない。なので、日常の過ごし方も含めた戦いだと思っています。毎日ちょっとだけでもネタを考えたり、単純にネタ合わせの頻度を増やしたり。怠け者なので習慣にしないと僕らは勝てない、という考えに変わってきました。僕らが褒められるとしたら、練習量が多いことくらいでしょうね。
 


今年8月の「お笑いバイアスロン2021」で優勝を勝ち取った、初恋クロマニヨン

―「賞レースは作戦勝ち」という発言がありました。O-1にバイアスロンに県外賞レース、それぞれの作戦を考えますか?

松田:考えます。県外に関しては僕らの力を超越しているので作戦がバチッとはまらないことが多いです。県内では大会に応じて毎年作戦を変えています。分かりやすい例を挙げると視聴者投票のO-1は商業的なネタで挑んだ方が、投票してくれる方が多い気がします。沖縄あるある、共感できるテーマを選ぶ感じですね。他の芸人さんも取り入れていると思います。

バイアスロンは3分間という短い尺に、いっぱいボケを詰め込むなどの完パケ感。とにかくいろんな要素を入れて、ひとつの完全なパッケージを作り上げる気持ちでネタを考えています。そしたらコントでも漫才でも、良い感触を得られそうな感覚になるんです。ずるい人間なので(笑)、作戦をいろいろ立てながら挑んでいます。

―なるほど! 昨年からはコロナ禍で無観客の中でのネタ披露など、イレギュラーが入ってきました。そのような状況に対応しながら作戦を練る松田さんは、芸人でありプロデューサーの視点も持っていると思っています。

松田:本当は出たとこ勝負がカッコいい。「状況なんて関係ないし作戦も不要。僕たちは面白いものをやるだけだ」というのが理想ですが、それができるようなスゴイ人ではありません。野球で例えると送りバントをしたりヒットエンドランを使ったり、細かいことを意識していかないと勝てないことに気付きました。ここ3年くらい、そういうお笑いをやっています。

―トリオはお手本にする先輩が少ない。その中で心掛けていることや強みを教えてください。

松田:「じゃない方芸人」という言葉があったりしますが、トリオの大前提として、「この人要らない」と思われる人を作らないように心掛けています。強みが何なのかはずっと考えてきましたが、最近思うのは「わちゃわちゃ感」。3人で楽しそうにやっているな~と思っていただくことかもしれません。学生が部室でしゃべっているようなネタを選び、そのままの空気感で届けたい。いろんなお笑いに挑戦もしたいですが、今は内側に入るというか、自分の中で面白いものは何だろうと考えるようになりました。大づかみのデカいお笑いではなく、僕自身が感じる小さな面白さ。他の人から見るとつまらないことでも、「僕は面白いと思っているので見てください」という気持ちでネタを作っています。去年「お母さんと息子で駐車場経営」というネタを作りましたが、実際に見た親子経営が面白く、その光景が好きでした。でもちょっと分かりづらいあるあるで、ニッチなところかと思いましたが意外に反応が良く、「自分の中の面白い」を届けるのはいいんじゃないかと考えるようになったんです。
 


「O-1グランプリ」では、人気CMのイメージをふくらませたコントを演じることも

―ここ3年くらいが転換期。トリオとして、芸人として、個人としても変化し、結果もついてきたんですね。

松田:本当に転換期だと思っています。コロナ禍で外に発信する人が多くなりましたよね。動画配信などで外に向けてバズらせたい、世間的に広めたいという気持ちで取り組む人が多い中、僕は自分が面白いと思うのは何かと内に入ります。配信している方が絶対良さそうですが(笑)、違う方向を考え、自分の中の面白さに行き着いている感じです。

―自分の面白いを追求するのが、今の松田さんのフェーズ。それが現在の正解のようですね。初恋クロマニヨンの歴史の中で解散を考えたことがあるそうですが、いつ頃ですか?

松田:解散危機は数回あり、最初は多分2014年。「お笑いバイアスロン」惨敗で限界を感じ、僕から言い出しました。でも2人に続けようと言われ、そこからだんだんネタと向き合い量産するようになりました。すると「お笑いバイアスロン」も「O-1グランプリ」も順位が徐々に上がってきたので、今まで怠けていたんだと気づきました。

次は2015年あたり。僕のエゴだと思いますが「お前ずっと無気力だけどヤル気ないのか? 辞めたいのか!?」と、相方の新本にずっと問い掛けていたんですよ。そんなことを言われ続けたら、誰でも嫌な気持ちになりますよね。新本を追い込んでしまい、逃げ場がなくなった彼は「OK、もう辞めた」みたいな風になりました。でもそこから何の話もせずに今に至るので、そのまま流れたようです(笑)。もしかしてこの6年、考え中なのかな(笑)!?

そういえば東京にいる時、サッカーのゲームで新本に負けて腹が立ち「解散だ!」と言ってコントローラー投げ付けた思い出もあるので、解散危機はトータル3回です(笑)。

―次なる目標を教えてください。

松田:お笑いの大会や賞レースに向き合ってきたのが、初恋クロマニヨンの15年。「芸人がアスリート化し、お笑いが競技になるのはどうなんだ!? という声があるのを理解しつつも、僕らを育てたのは競技だったと思えるんですよね。お笑いを続ける勇気を与えてくれたのが2010年の「M-1グランプリ」で、初めて大衆の前に出たのは「フレッシュお笑い選手権大会」でした。競技としてのお笑いが僕らのモチベーションを維持させてくれたし、ここまで続けられていると実感します。これからも県内賞レースのO-1とバイアスロンに出場して勝ち続けたいですし、本土の賞レースでもひと花咲かすことができたらという風に考えています。
 


「O-1グランプリ 2017」では見事優勝! ユニットライブを開催する仲間のノーブレーキ、リップサービスと記念撮影

―それが松田さんのお笑いポリシーですね。

松田:本当はそんな風に言ったり熱くなったりしたくはありませんが(笑)、賞レースが育ててくれた現実があるので、こだわっていきたいです。毎回思うのは舞台に立つのは楽しい。でも立つまでは気が重かったり怖かったりはします。

―松田さんは読谷村出身。タレントを輩出し続ける村で地元を愛する村民が多い印象ですが、地元愛は深いですか?

松田:有名な先輩が多く僕が出しゃばるつもりはありませんが、潜在的な愛は強いです。何がそんなに好きか分かりませんが(笑)、那覇からの帰りに嘉手納から比謝橋を渡っている時に「帰ってきた~」と思い、越えた時に見える広がる景色が好きです。子どもの頃から同じで、出掛けて帰る時に「ここらへんに来たら安心するな~」と親父が言っていたのもうなずけます。読谷の外に出たら肩肘張っているんだと思います(笑)。鳳ホールでのライブ開催をいつかかなえたいですし、地元愛を表現する場があれば出していきます。

―沖縄のお笑い界への思いをどうぞ。

松田:いつも感謝しています。FECの智二さんや仲座さんは、事務所を離れて別の所属になってもいまだにかわいがってくれます。オリジンのみなさんも仲良くしてくれますし、よしもと沖縄の仲間を含め全体に感謝しています。そして僕自身、沖縄の番組からお笑い好きになりました。ゆうりきや~さんは大きくて温かい心でみんなを見てくれています。適当に折り合いを付けたりしない良い環境でもあります。

―バックグランドや近況を紹介することで沖縄のお笑い界の記録にもなるのが、この「沖縄芸人ナビ」。読者の方に好評で、取材内容をしっかり載せていると喜んでくださる芸人さんも多いです。引き続きナビゲートをお願いしますが、最後に展望を教えてください。

松田:器用な人間ではないのでトリオのネタを続けます。そんな自分を認めてくれた上で、チャンスが広がるような話が来れば引き受けてみたいです。でも基本はやっぱりネタ作りです。





【インタビューを終えて・・・】

☆松田ナビ☆
自分の話をする機会はなかなかないので、僕もインタビューを受けてみたいと思っていました。お笑いを始めた頃から詳しく話したことは初めてで、インタビューされる側になれて本当に良かったです。僕が話を聞いた芸人さんと同じ感想になっていますが(笑)、ありがとうございました。




【プロフィール】


★松田 正(まつだ しょう)/ 初恋クロマニヨン

生年月日:1984年8月22日
出身地:読谷村
趣味:ソフトボール/漫画
特技:野球
Twitter:@hatsukoimatsuda

 



 


【インフォメーション】


初恋クロマニヨン 月1定期ライブ 「初恋クロマニヨン、出番ですよ!!」

日時:12月11日(土)開場18時45分/開演19時
料金:前売り・当日共に1000円/有料配信800円⇒【GoToイベント対象公演】640円
内容:ネタ・トーク・企画など毎月さまざまな内容で開催。今月は何が飛び出すか!? 来場してお楽しみください。(公演時間約60分)
会場:【よしもと沖縄花月】
  ​那覇市前島3-25-5 とまりんアネックスビル2階 (マップはこちら

お問い合わせ:098-943-6244
公式サイト==>http://www.yoshimoto.co.jp/okinawakagetsu/




饒波貴子(のは・たかこ)

那覇市出身・在住のフリーライター。学校卒業後OL生活を続けていたが2005年、子どものころから親しんでいた中華芸能関連の記事執筆の依頼を機に、ライターに転身。週刊レキオ編集室勤務などを経て、現在はエンタメ専門ライターを目指し修行中。ライブで見るお笑い・演劇・音楽の楽しさを、多くの人に紹介したい。



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