若き2代目は麺作りに「デザイン」を活かす 67年の歴史を持つ「知念製麺所」


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今日もKOZAからおいしいを届ける

3~4キロの熱い麺を持ち上げ、まんべんなく油をつける工程を行っているのは、知念製麺所代表の知念慶太さん。ゆでたての沖縄そば麺は、表面に油を行き渡らせることで互いにくっつくことを防ぐ。外食の機会が増え、年越しそばの需要もある年末年始は一番の繁忙期だ。 写真・村山望

沖縄市久保田にある「知念製麺所」は今年で67年目を迎えた会社だ。作り置きしないことにこだわり、ほぼ年中無休で県内に沖縄そばやラーメン用の麺を届けている。現在会社を率いるのは2代目の知念慶太さん。デザイナーを志望したことがあり、クリエイティブな感性を持つ知念さんに製麺業の魅力と、老舗ならではの思い出を聞いた。

深夜2時、知念製麺所の1日がスタートする。

作業場所では、従業員たちが忙しなく動き回り、沖縄そば麺の生地作りから、麺の整形、袋詰めまでをこなしていく。製造ラインの機械は必要最低限で、長年使っているものだ。自動化には頼らず、熟練した従業員たちの技が製品の品質を支えている。

麺の計量や袋詰めなどは手作業で行っている

生地作りはとりわけ気を使う工程で、その日の気温・湿度によって小麦粉と水分のバランスが変化する。梅雨期や夏場は特に管理が難しく、従業員も汗だくで作業するが、勤続42年の工場長、喜友名朝雄さんは「暑い日も熱中症になるひまなんてないよ!」と元気だ。麺の品質を自分の感覚が決める、というのは他では代え難いやりがいなのだろう。

工場長の喜友名朝雄さん。19歳で入社し、現在勤続42年目。知念さんのことを幼い頃からよく知る

麺作り × デザイン

1955年創業、歴史ある会社を現在率いるのは2代目の知念慶太さんだ。創業者、正吉さんを祖父に持つ知念さんが会社を継いだのは2年前、26歳の時である。

知念製麺所代表、知念慶太さん。製麺から配達、事務作業までこなす。デザイナーを志した経験もあり、今も「デザインオタク」であるそう

元々はデザイナー志望で、グラフィックやファッションの仕事を学んでいた知念さん。高校を卒業すると、東京の服飾大学へ進学。さらに見聞を深めようとイタリア、イギリスに留学する。結果、10年近く沖縄に帰らなかったそうだ。

しかし、正吉さんが引退を考え、従業員も高齢になる中で製麺所の後継者がいない、と家族から伝えられた際に、「それだったら僕がやるか」と決心した。家業とはいえ異業種への方向転換。普通ならば迷いもありそうだが、知念さんにそのような雰囲気は感じられない。

「製麺業にもデザインの概念が入る余地はあるなあ、と思って。自分の持ち味を生かせるんじゃないかと思ったんです。だから別に悪い話ではないと」

実際に働き始めると、知念さんには麺作りがとても魅力的に見えた。例えば弁当店でおなじみの「100円そば」。

「そばって下ゆでが必要ですけど、100円そばの麺はわざと薄くして早く伸びるようにするんです。熱いお湯をかけたらベストな軟かさになるように。これもデザインだと思っています」

知念さんは入社後、製麺の技術を学びながら、自分の感性を仕事に取り入れてきた。

まず取り組んだのが沖縄そばのパッケージの変更だ。従来のデザインは「KOZA」の文字で地元愛を示しているもの。より親しみを持ってもらおうと、オリジナルキャラクターを追加した。またインスタグラムのアカウントを立ち上げ、製造の様子を発信する。

「真面目にものづくりをずっとやってきているので、まずはそれを知ってもらいたい」

そう話す知念さん。大きな変革を促すのではなく、少しずつ新しい風を吹かすことで、長い間勤めてきた従業員にも負担をかけず、会社をアップデートしていきたいという方針だ。その姿を見て喜友名さんも「これからは慶太の時代」と太鼓判を押す。

年越し沖縄そば

毎年大晦日が近づくと、知念製麺所では、年越しそば用の沖縄そばを増産する。従業員だけでは人手が足りず、知念さんの家族親戚も応援にかけつける一大行事なのだとか。たくさんの人が製麺所に出入りしてにぎわう年の瀬の光景が、幼い頃の記憶として残っているという知念さん。そんな思い出があるのも、会社を継いだ理由なのかもしれない。

12月30日・31日は、一般家庭向けに年越しそばの販売スペースも設けている。年越し用の買い出しをしつつ、小さな製麺所を訪れてみてほしい。

(津波 典泰)


知念製麺所

沖縄県沖縄市久保田1-1-4
TEL 098-933-3045

Instagram: @chinensoba

(2021年12月9日付 週刊レキオ掲載)