「楽しい」と「楽しいとは言えない」が混ざりあう街「コザ」を想う ーナガオカケンメイからみた沖縄


社会
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不思議な街コザに魅了された人々がつづる それぞれのストーリー〈1.st〉

「実在する不思議な街・沖縄市コザを舞台にした映画!」と銘打った2022年公開予定の映画「10ROOMS」がコザで撮影されています。確かにコザは不思議な魅力を持った街。しかし、その魅力の対象は人それぞれ違います。このコラムは、4つの物語で構成された「10ROOMS」にちなんで、コザの不思議な魅力を4人の筆者それぞれの視点で紹介するリレーコラムです。トップを飾っていただくのはD&DEPARTMENT創業者で、デザイン活動家のナガオカケンメイさんです。

東京に30年以上暮らし、いま、沖縄に通っている。最初は自分が起業した「ロングライフデザイン」をテーマとする生活雑貨の店「D&DEPARTMENT」の沖縄でのフランチャイズパートナーが見つかり、その出店がきっかけで半年に1度ほど、あくまで仕事として来るようになった。

沖縄には来るたびに感じる不思議な感情がある。それを紐解くために、博物館や歴史資料館に行くようになった。自分の会社は出版事業もやっていて、沖縄のガイドブックを作ったとき、沖縄らしい場所を探して取材を繰り返していくうちに、その不思議な感情の正体が少しずつ見えてきた。そして、僕はその不思議な感情の正体にのめり込むように、宜野湾市にアパートを借り、今では一年の約100日を沖縄で暮らすように通っている。

「共同売店」という存在を知ったのは、とても大きい。店を経営している僕にとって共同売店の「商売しながらも、その土地に開かれた場所」という存在は、正直最初は、驚いた。けれど、時代が進み、より複雑化していくこれからの時代を考えると、それが「これからの店のあり方」の大いなるヒントになると確信し、通うことになる。

そして、もう一つのめり込んだことが、アメリカとの共存。本土でたまにニュースで流れてくるので、知ってはいたが、それらと日々、生活の中で向き合う様子の強烈な一つが、沖縄市コザにある。中でも「JET」というライブハウスには、沖縄に来ると必ず通う場所になっていった。古き良きロックの生演奏の迫力に最初は惹かれ通っていたが、ふと、戦争相手国の音楽という文化を、米兵を相手に演奏するその「状況」について、辛い沖縄戦の本や話を来るたびに一つ一つ、噛みしめるようにアパートの本棚にしまっていくうちに、つまりは沖縄に僕が感じる不思議な感情の根っこが、そこにあることに気づく。そして、僕はコザにはまっている。

「はまる」と表現すると、ありきたりな感じがするけれど、その感情の半分は「楽しい」とはとても言えないものが占めている。「楽しい」と「楽しいとは言えない」歴史や感覚が混ざっている。沖縄にはそんな場所や物語がある。混ざっているから、「楽しいとは言えない」ことを、つい忘れたりする。しかし通っていると、やはり一日のうちの生活の何割かに、それが現れる。

どんな土地にも思い出したくない過去はある。それが「戦争」と絡んだりすると、どうなるか。自分の故郷で考えようとしても、無理である。重い傷を負って、その気配が今も日常にあると、どうなるのか。それが僕の沖縄に感じる不思議な感情。「楽しい」と「楽しいとは言えない」 が混ざり合う気持ち。「楽しいとは言えない」をあえて「悲しい」とは、書かなかった。それが、僕がコザを中心に沖縄に暮らすように通ってやっと感じたこと。だから、沖縄の古本屋に行くと、本当にびっくりするくらい沖縄の過去にまつわる書籍がある。「楽しいとは言えない」ことだから、「記録」して未来に繋げる必要がある。「悲しさ」を引きずるのではなく、日常の中のそれを、沖縄の人たちは記録している。

コザ騒動にてひっくり返され、焼かれた米軍車両を見る少年=1970年12月20日、コザ市中の町

コザに通っていて「楽しい」ことは、そこに暮らす人たちの「楽しそう」な生き方に触れる瞬間。ある飲食店に入ると、カウンターの中でおそらく店員であろう人たちが、すでにべろべろに酔っ払っている。そのうちの一人が客として来た僕らに向かって最近の怒りをぶちまけてきた。僕らはそれを「面白いから聞こう」という気持ちになっていた。これはコザのマジックだと思う。誤解を恐れずに言うと、彼らの怒りの根っこは、東京にあるような、儲かる・儲からない的な欲に絡んだ人間関係ではなく、それこそ東京から来た僕らには到底わからないところに震源がある。コザにはそれをどこに行っても感じる。

日本のことを考えている。日本の過去を思っている。沖縄の未来を願っている。そこからじわじわと沸いた怒りのようなものが、つい出てきてしまうのだと思う。コザを楽しむ一つは、それらと遭遇し、聞き耳を立てること。ただのけんかやお酒に酔って絡まれる意味の浅いものだけじゃない、根深いものがある。それが途中で戦争の敵国であったはずの人たちとも重なり合っている。だから、コザは成立していて、コザのような場所は、簡単には理解されないどころか、似たように作ることなど、到底無理である。

あるLPをかけるミュージックバーに行っても、なんとなくコザは統一された緊張感と、どうしようも無い状態と、どうしようもなく楽しい状態があった。その店内にかかっている音楽の「音」の質は、正直それを追求しているような感じではなく、ただ雑にかかっている。最初は気になっていたけれど、だんだんどうでもよくなっていく。そう言うことはどんな人の日常にもある。

何か流行や文化や格好つけたレベルで、僕らはつい目の前の質を見定めようとする性質を持っている。しかし、本質はそこにはないことに、ある時間が経つと思えてくる。ノイズの気になるLPも、演奏の素晴らしさに引き込まれていくと、それが消え去る。大好きな「JET」のボーカルの歌声は、上手ではないけれど、人間が歌う迫力にすぐさま気づくように引き込まれる。歌や、音質がいいという基準じゃなく「感じる」ことが沖縄ではできるし、コザにはそうした感覚がどこか基礎として流れあるように思う。

だから何も知らなくても、一人でも、その感性があれば「楽しい」と思える。そして、その感性は動物的に心を少しでも開かないと見えてこない。凝り固まった常識や社会性、流行なんかの他人の価値基準に溺れていると、コザは楽しめない。沖縄の「楽しいとは言えない」ことの重要性は見えてこない。

沖縄に来ると、北海道と京都を僕は思い出す。伝統文化を必死に継承しながら、毎日京都人は「京都」を意識して生活し、京都を「残そう」とする。北海道のアイヌにもそれを僕は思う。「残す」ということの意味と、普段の生活が混じり合っている。僕は30年以上東京に暮らしているけれど、「東京」の何かを残そう、と、思ったことは一度もない。もちろん、そういう仕事や立場にない、生まれた場所ではない、ということは大きくあるとは思う。けれど、沖縄の人たちは、常に「自分たちの場所、沖縄」について、思っている。京都とはその想いの種類は違うけれど、 毎日、信じられないほどの音で低空を飛ぶジェット機やオスプレイと普通に暮らし、自分たちの土地を毎時「感じて」いる。

今、コザのあるホテルを舞台にした映画製作が始まろうとしている。僕らには、この映画におそらく込められる「楽しい」コザと、「楽しいとは言えない」コザの完成に対して、聞き耳を立てる必要がある。日本でもアメリカでも、そして沖縄でもない街、コザに僕も思う不思議な沖縄への感情を共有したい。それがきっと自分のルーツを感じるということになる。

ナガオカケンメイ(デザイン活動家・D&DEPARTMENT創設者)

 1965年北海道生まれ愛知県育ち。2000年よりロングライフデザインを提唱する D&DEPARTMENT PROJECTを開始し、現在はプラザハウス内にある沖縄店ほか、国内外に拠点を展開中。2009年、デザインの視点で日本 を紹介するガイドブック『d design travel』を創刊。2012年、渋谷ヒカリエ に47都道府県の個性を発信するミュージアム「d47 MUSEUM」、ストア、 食堂をオープン。物販、飲食、出版、観光を通して、47の日本の「らしさ」を 見直す活動を行なっている。 http://www.d-department.com

【2022年公開予定】沖縄市コザを舞台にした映画「10ROOMS」のご支援をお願いします!