高校3年での目覚め 日本選手権に2度出場
「100メートルを全力疾走して、人との縁を大事にしていたら、僕の人生が『わらしべ長者』のように好転して今に至っています」。陸上クラブ「アスリート工房」の代表を務める譜久里武さん(51)にとって、陸上は人生そのものだ。若かりし頃に男子100メートルで日本選手権や国民体育大会に出場し、40代で出場した世界マスターズ陸上で世界一に。50代に入った今も「走る」意欲は全く衰えず、後進の育成にも注力する。バイタリティーあふれる活動で沖縄陸上界を引っ張る譜久里さんに話を聞いた。
久米島町山城出身。周囲を見渡せば海、山、川。「小さい時はガキ大将的な感じで、田舎ですくすくと育ちました」。久米島中学、久米島高校時代はバスケットボールや野球に親しみ、意外にも「地区大会の練習で先生がめちゃくちゃ走らせるから、陸上は嫌いだった」。転機が訪れたのは高校3年の時。部活を引退後にあった町の運動会でのことだ。
地区から男子100メートルに出場予定だった二つ下の後輩が県大会と日程が重なって出られなくなり、譜久里さんに白羽の矢が立った。高校で182センチまで急激に身長が伸び、野球部で4番を任されるほどの運動神経を備えていた。出場すると、いきなり11秒4の大会記録を出して優勝。トップでゴールを駆け抜けた達成感とともに、気付いた。「俺、足速いんだ」
IT系の専門学校に願書を出していたが、競技を本格的に始めるために沖縄大学に進学。専門的な練習を積み、安定して10秒台で走れる力を付け、大学3年時から県民体育大会の男子100メートル、200メートルで10連覇を達成。社会人1年目だった1993年の東四国国体では国内のトップ選手が集う成年Aの部で県勢として初めて決勝に駒を進め、5位入賞を果たした。その後、日本選手権にも2度出場して準決勝まで進むなど、沖縄の短距離界を牽引した。
40代で達成した世界一
35歳で一度競技を引退。人材派遣会社で仕事をする中で93キロまで体重が増え、ダイエットを始めた。そんな時、幅広い年齢層の人が出場する「マスターズ陸上」の存在をインターネットで知り、さらに40代で100メートルを10秒台で走った日本人が歴史上1人もいないということに気付く。
「『もう一度スポットライトを浴びれる日がくるんじゃないか』と思って、頭を後ろから殴られたような衝撃でした」。周囲から反対や嘲笑を受けることもあったが、「希望に満ちていたから、全然気になりませんでした」と37歳で本格的に競技を再開した。
専門書を読みあさったり、他競技の練習法を研究したりして練習に工夫を凝らし、40歳で出場した名桜大学の記録会で見事に10秒87を記録。日本人にとどまらず、アジア人として初めて40代で100メートルを10秒台で駆けた。
2017年にはマスターズ世界室内陸上の60メートルで金メダルを獲得。翌18年にはタレントの武井壮さんや元日本記録保持者の朝原宣治さんらと世界マスターズの45~49歳クラス400メートルリレーに出場し、世界一に輝いた。さらに19年のアジアマスターズでは20年ぶりに同種目の世界記録を樹立するなど、輝かしい功績を残すとともに、マスターズ陸上の普及に貢献してきた。
次世代の育成が役割
13年に「お世話になった沖縄の人、全国の人に恩返ししようと思ってつくった」というアスリート工房は、設立から9年がたった。子どもたちの育成に加え、近年は「アスリート採用」にも力を入れる。今年6月の日本選手権では、コーチをしながら競技を続ける与那原良貴さん(26)が譜久里さん以来、県勢として22年ぶりに男子100メートルで準決勝を走った。次世代の育成は「自分の役割」(譜久里さん)と言い切る。
51歳となったが、競技への意欲も衰えを知らない。「世界マスターズでまた世界一になりたいし、そこを目指すプロセスが僕の日常を輝かせてくれると思っています。好きな陸上をやりながら、子どもから大人まで、走る素晴らしさを伝えていきたいです」
(長嶺真輝)
陸上クラブ「アスリート工房」教室
拠点は沖縄県内12カ所、神奈川県1カ所
TEL 080-3188-2170
https://athlete-koubou.okinawa/
(2022年8月25日付 週刊レキオ掲載)