大宜味村 次世代へつなげる村づくりを 株式会社AGARI(アガリ) 松本政隆さん


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自然豊かなふるさとで就農

露地栽培したシークヮーサーを収穫する松本政隆さん。約6千坪の畑で平張りハウスも取り入れ育てている。シークヮーサーは青切りが8月~9月、加工用が9月下旬~11月中旬、黄金色のフルーツ用が12月~翌年2月までに収穫される=大宜味村田港 写真:喜瀬守昭

緑豊かな山々に囲まれた大宜味村田港でシークヮーサー栽培や養豚などを行う松本政隆さん(36)。露地栽培に加えて、シークヮーサーでは珍しい平張りハウス栽培を導入し、安定した供給と品質向上を図っている。那覇市での飲食店経営を経て、故郷で農業を始めた松本さん。若手の農業従事者たちでつくる青年農業者の会の会長や農業委員も務め、少子化が進む故郷の発展のために奮闘している。

緑豊かな山々に囲まれた大宜味村田港でシークヮーサー栽培や養豚などを行う松本政隆さん(36)。露地栽培に加えて、シークヮーサーでは珍しい平張りハウス栽培を導入し、安定した供給と品質向上を図っている。那覇市での飲食店経営を経て、故郷で農業を始めた松本さん。若手の農業従事者たちでつくる青年農業者の会の会長や農業委員も務め、少子化が進む故郷の発展のために奮闘している。

平張りハウスの中で収穫作業を行う松本さん

大宜味村田港の山あいの畑でシークヮーサーなどを栽培する松本政隆さん。同じく農業者である父・政尚さんから引き継いだ農地で、シークヮーサーの他、ゴーヤー、スイカ、マンゴー栽培、養豚などを手掛ける。

那覇市で経営していたライブハウスを閉め、故郷に戻り10年。「26歳の時に結婚をし、子どもができたのがきっかけ。自然豊かな所で子育てをしたいと、戻ってきた」。父から農業を学びながら、養豚からスタート。「4千頭の豚が排出するふんを堆肥化し、還元したいと思って」果物や野菜作りにも乗り出した。

珍しい平張りハウスを導入

2014年にはシークヮーサーの畑の一角をネットで囲った平張りハウスを導入。台風被害や害虫を避けて、より安定した供給ができるようになった。ハウスの中のシークヮーサーの実は露地栽培のものと比べて傷が少なくきれいだ。「青切りシークヮーサーは食事や刺身のあしらいなどに使われるので見栄え重視。台風などの自然災害に直面した時でも中の実は守られるので、皆が出せないときに助けられる一農家でありたい」。

村の農業活性化を目指し「青年農業者の会」も立ち上げ、会長を務める。大宜味村の20~30代の若手農業経営者たち約20人で構成される。タピオカ、キク、養蜂、サトウキビ、パイン、マンゴーなど、さまざまな農家が参加し、情報交換なども行う。「戻ってきた時は過疎化状態で、若者に対して農業の魅力が伝わっていなかった。大宜味村は『シークヮーサーの里』や『長寿の里』という歴史がある地域。そこに力を入れてビジネスと連結していければ」と考えている。また、「お年寄りの収穫作業を助けるレスキュー隊としての面もある」というが、助けは要らないという人も多く、まだ出番は少ないという。「そう言っているうちはまだ健康な証拠。お願いされたらいつでもいけるスタンバイはできている」とほほ笑む。

シークヮーサーでは珍しい平張りハウスを導入

若者に農業の魅力をアピール

「今の若い世代が高齢になっていったときに、下の世代に引き継いでいけるような村づくりをしていきたい」と後継者育成にも意気込む松本さん。大宜味村の農業委員としての顔も持ち、若手就農者を受け入れようと空き家を活用した移住定住促進なども行っている。耕作放棄地なども再生利用し、若い人を巻き込んで盛り上げていくのが狙いだ。

最近では県内外から農業をしたいと来ている若い人も少しずつ増えている。心掛けているのは褒めて伸ばすスタイルで接すること。「モチベーションにもつながるし、自信がついて、チャレンジ精神に変われば」とサポートしている。自身の従業員にも「いつか独立してほしいので、何が重要かということを優先的に教えている。そうしないと大宜味村の発展はないと思う」

ハウスの中の青切りシークヮーサーの実は、傷が少なく見た目もきれい

現在は自身のシークヮーサー農園で体験型観光農園事業の展開も目指す。「県外に促進販売に行った際、シークヮーサーという名前は知れ渡っているが、どういうものなのかをまだまだ知らない人もいると感じた。理解を深めるきっかけになれば」と話す。

村の活性化を目指し、アイデアを生み出している松本さん。「1年以内にまた目標が見つかるかも」と笑顔を見せる。故郷への思いを原動力に、大宜味村の宝を次世代へつないでいく。

(坂本永通子)

(2022年11月17日付 週刊レキオ掲載)