川柳で地域を活性化 大田かつらさん


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川柳がつないだ出会いに感謝

豊見城市立中央公民館を拠点に活動するサークル「川柳とみぐすく」会長の大田かつら=本名・洲鎌恵子=さん。手に持っているのは『豊見城市ジュニア川柳大会作品集』=豊見城市立中央公民館(豊見城市平良) 写真・村山望

五七五で人生の喜怒哀楽をときにユーモラスに、ときにシニカルに詠む川柳。豊見城市立中央公民館を拠点に活動するサークル「川柳とみぐすく」会長の大田かつら=本名・洲鎌恵子=さん(75)は、琉球新報本紙で掲載中の「新報川柳」選者の顔も持つ。昨年は、川柳の全国大会「美ら島国民文化祭 川柳の祭典2022」の開催にも尽力した。近年では、川柳を通じて地域の子どもたちとの交流も盛んに行っている。

大田かつらさんは1947年生まれ、国頭村奥間出身。「川柳とみぐすく」の代表、新報川柳選者を務めている。柳号の大田かつらという名は、60年代にベストセラーだった旅行記『天国にいちばん近い島』の著者、森村桂さんの名前と、旧姓である大田を組み合わせたとのこと。

川柳とみぐすくの講評の様子

川柳を始めたのは今から23年前。当時、琉球新報の読者投稿欄「声」への投稿を続けていたなかで目に入った新報川柳がきっかけだったという。

「五七五、十七文字。ああ楽勝じゃん、と始めたのが間違いのもとでした」と笑う大田さん。

初めて新報川柳に掲載された句は、当時、毎朝ミルクをねだりに来ていたノラ猫を詠(よ)んだ句、「ノラ猫の拾ってくれの目に出会い」。

また、本土の雑誌に掲載されたこともあるという句、「子が生まれ母に感謝の涙増え」には子育ての実体験を描いた。

「夜中に起きた赤ちゃんにミルクを飲ませることなんて知らなかった。まさか子育てがこんなに大変だったとは。親に反抗ばかりして悪かったな、と感じ涙を流した」と振り返る。大田さんはこの句で全国川柳大会にも出場した。

「川柳は人間探究です。年を取れば取るだけその年にしかできない川柳というものがあるんですよ。やっぱり『人間を詠(うた)う』ですから」と大田さんは語る。

国語力の大切さ伝える

2000年に川柳を始めた大田さんは、翌年01年に「川柳とみぐすく」の活動を開始した。現在、所属している会員は11人。月に一度お題に沿った川柳を持ち寄って川柳会を行っている。

「サークルで楽しく学んで、技術や知識を地域に還元する」ことを目標に掲げる大田さんは、数年にわたり豊見城市立中央図書館で「おやこ川柳教室」や「放課後こども教室」など、川柳を通じた地域の子どもたちとの交流にも積極的に携わる。

昨年は、全国川柳大会「美ら島国民文化祭 川柳の祭典2022」のプレイベントとして「豊見城市ジュニア川柳大会」を開催。市内の小中学生から合計1336句の応募があった。

選者として参加した「美ら島国民文化祭 川柳の祭典2022」。沖縄をアピールするために琉装で臨んだ

「私が感心したのは『やめようよ平和のために争いを』という句。この子はウクライナや世界にまで目を向けていて、そういう子どもたちがいるということだけでも感心しました」

授賞式で、作者の松井暖さんに会った際には「これからも視野を広げるために、新聞や図書館の本をたくさん読んでね。そしてたくさん言葉をひろげてね」と声をかけたそうだ。

「国語力や読解力は、どの教科にも通じる」と大田さんは話す。自身の子どもや孫にも、積極的に図書館に通わせていたという。

「読書のお陰で息子は今、学校の先生をしている。息子が『お母さんに感謝するのはたったひとつ、読書の習慣を付けてくれたこと。ありがとう』と言われて、やったね、と思ったね」交流を通じて、子どもたちはもちろん、子育てをしている親にも本を読む習慣付けの大切さを伝えている。

川柳で子ども育てる

先述の全国大会「美ら島国民文化祭 川柳の祭典2022」では、沖縄から41人が入選した。

このことについて、大田さんは「沖縄も川柳は負けていない。本土のレベルに達してると思う」と胸を張る。

今後の目標は、豊見城市をジュニア川柳の里にすること。

「豊見城市を中心に、未来ある子どもたちを育てたい。『やめようよ平和のために争いを』の句を作った松井さんのような子の発掘、育成のために、川柳を通じて地域の子どもたちとこれからも関わっていきたい」と笑顔で話した。

(左から)『川柳とみぐすく 20周年記念合同句集』『豊見城市ジュニア川柳大会 作品集』『美ら島おきなわ文化祭 川柳の祭典2022 特別記念版』

(元澤一樹)


川柳とみぐすく

場所:豊見城市立中央公民館2階会議室
日時:毎月第1(土)10:00~12:00

入会希望者は直接会場へお越しください。
 

 

(2023年2月23日付 週刊レキオ掲載)