カツオと島菜、ふんだんに “ウフゲー・ンスナバー”


カツオと島菜、ふんだんに “ウフゲー・ンスナバー”
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白あえを作るため、ンスナバー(フダンソウ)をもみ込む。50年以上、毎年作るという自家製のみそが隠し味に。「ガシッガシッ」と音がするほど力強くもみ込んでいく

 カツオ漁の盛んな本部町。毎年この時期、「カツオのぼり」が泳ぐ渡久地港に近い一軒家で、島袋秀子さん(95)は息子の徳秀さん(68)が作った踏み台に上り、ウフゲーを炒めている。

 ウフゲーとはカツオの胃袋のこと。しょうゆとうま味調味料で味付けし、ニラをたっぷり入れる。もとはマース煮にしていたが、ある日、義母が作り方を教えてくれた。「子どもたちがおいしいって言うからうれしくてさー。喜ぶ顔が見たくてずっと作ってる」。以来、義母から受け継いだ味を60年余にわたって守ってきた。秀子さんは、ことしカジマヤーを迎える。

慣れた手つきで「ウフゲー」を油で炒める秀子さん。ウフゲーは、見た目も食感も豚の中身に似ている

 できたてを頬張る。豚の中身のようなぐすぐすとした歯ごたえ。ご飯が進みそうだ。秀子さんは次に「ンスナバー(フダンソウ)の白あえ」に取り掛かった。隠し味は自家製のみそ。こちらも50年余の歴史がある。

 「とぅ、食べてみなさい」。味見にしては多過ぎる量が手のひらに載った。淡泊な味が多い白あえと違い、みそが利いて濃厚だ。

 秀子さんは1920年、名護町(現名護市)安和の山間部に生まれた。13歳で大阪の紡績工場に出稼ぎに出て、神戸で家政婦になった。思い出の味はフキの炒め物。「沖縄のシパンプ(ツワブキ)と違って、奥さんに言われた通りにゆでて炒めると苦くなくておいしかったよ」と懐かしむ。

 42年、本部町辺名地(現谷茶)に嫁ぎ、夫徳栄さんの出征後の45年2月に長女正子さんが生まれた。2カ月後、米軍が本島に上陸。秀子さんは正子さんを抱いて北部の山や羽地の民家を転々とした。正子さんがマラリアにかかった時は、アタビチャー(カエル)を捕まえ、モモを煎じて与えた。

 徳栄さんは終戦から1年して復員した。秀子さんは町内で生カツオを買い取り、なまり節を作って名護で行商した。50年には、町内で屋台を開き、コーヒーや今川焼を売った。珍しさが人気を呼び、店は繁盛した。72歳まで港で売店に立つなどして働いた。

(手前右から時計回りに)「ウフゲーのイリチャー」と「ンスナバー(フダンソウ)の白あえ」「大根の漬物」

 ウフゲーのイリチャーは今日も食卓に上る。嫁の邦子さん(67)は「娘と息子が小学生の頃、家庭訪問に来る先生に好きなものを出そうと思って、何がいいか聞いたら『ウフゲー』と答えた。実際に出したら驚いていた」と当時を思い出して笑う。

 「おっかあの味が孫たちを大きくしてきた。そばで見てきたから、私の体にも染み付いている」と邦子さん。秀子さんが守ってきた味は邦子さんが受け継いだ。

文・新垣梨沙
写真・又吉康秀

◆スライスし、塩漬けも

 渡久地港近辺で食される「ウフゲー」だが、イリチャーやマース煮、塩漬けにしたものを豆腐に載せるなど、食べ方や調理法はいろいろ。港近くでは、ウフゲーを「カツオの内臓」としてグラム500円で販売したり、薄くスライス・塩漬けにして瓶詰めで販売する鮮魚店もある。

(2016年4月26日付 琉球新報掲載)