ふくふく生地、栄養包む “ひじき饅頭”


ふくふく生地、栄養包む “ひじき饅頭”
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饅頭に詰めるヒジキ餡をぺろっと味見する。この後、大人用の味付けに仕上げるためトウバンジャンを足した

 与那原町の主に板良敷、当添区の地先沿岸に自生するヒジキは今、収穫の最盛期を迎えている。当添区で生まれ育ち、与那原・西原町漁業協同組合女性部でヒジキの佃煮(つくだに)など商品開発に携わる瀬底タケ子さん(79)に、ケチャップとみそで炒めたヒジキを餡(あん)にした「ひじき饅頭(まんじゅう)」をこしらえてもらった。

 孫たちにもっとおいしくヒジキを食べてもらおうと考案。おかずにしていたヒジキの煮物を生地で包んで饅頭にしてみると、孫たちが競うように頬張った。それから子どもにはケチャップ、大人にはトウバンジャンを多めに入れ、調味料の配合を工夫して作り続けている。

 できたてにかぶりつく。ふくふくの生地。ほんのり甘い。ふた口目で肉厚のヒジキが顔をのぞかせた。はふはふ言いながら甘辛の餡と生地とを食べ進める。タケ子さんは「与那原のヒジキはカルシウムも鉄分もたっぷり含んでいて栄養満点よー」と胸を張る。

 タケ子さんの歩みは商売と共にある。6歳の頃、父が亡くなり、母が鮮魚店で生計を立て兄との2人を育てた。成長してからは母の店を手伝い、同郷の正孝さんと結婚後は、36歳で自ら商いをするため車の運転免許を取得。西原、中城、浦添まで化粧品や魚を売り歩いた。「化粧品を買ってくれたお客さんには『明日は魚持ってくるから』と言って売りもしたよー」と笑う。

甘辛く炒めたヒジキの餡がたっぷりと詰まった「ひじき饅頭」

 37歳でいくつも同業が並ぶ“激戦区”のえびす通りに鮮魚店を出した。正孝さんが店を切り盛りし、タケ子さんは車で行商をする日々。新たに始めた総菜屋も繁盛し、正孝さんの病気で店を畳む時は多くの客が閉店を惜しんだ。

 子どもの頃、商売で忙しい母に代わって世話をしてくれたのは祖母だった。商売は母、料理は祖母の教えだ。「祖母のウブルーグヮー(アヒルの卵汁)は、いくらまねて作っても同じ味を出せない」。タケ子さんの言葉に「私たちもかあちゃんの作るサーターアンダギーの味はまねできないよ」と次女の新垣めぐみさん(54)が言い添える。

 正孝さんが亡くなった後、子どもたちが実家での模合を始めた。12年間毎月、子どもや孫、ひ孫が実家に集まってタケ子さん手製の料理を囲む。ひじき饅頭にヒジキのカレージューシー、ばら寿司(ずし)…。タケ子さんの手から生み出されるアイデア料理が、瀬底ファミリー総勢38人のおなかと心を満腹にする。

 11年前から、漁協女性部のメンバーと町内の保育所や幼稚園などで饅頭の作り方を指導する。孫の太田祥子さん(33)は「ばあちゃんと生地のおいしさを研究して、ひじき饅頭屋を開きたい。ばあちゃんが元気なうちにもう一回商売をさせてあげたい」と話す。それを聞いたタケ子さんがこれ以上ないといった表情で笑った。

文・新垣梨沙
写真・又吉康秀

 

◆町代表する特産物

 ヒジキは赤瓦、与那原大綱曳(つなひき)と並んで、与那原町を代表する特産。肉厚で歯ごたえがあり、のこぎりの葉のようなギザギザがあるのが特徴だ。佃煮はJAおきなわファーマーズマーケット与那原店でも取り扱っている。

(2016年5月24日 琉球新報掲載)