もっちり食感、小麦の香り “ムジヌフテンプラ”


もっちり食感、小麦の香り “ムジヌフテンプラ”
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城山(伊江島タッチュー)のように盛りつけられたムジヌフテンプラ。和子さんの家の周りには、収穫を終えたばかりの麦畑が広がる

 本部港からフェリーで30分、伊江島に“小麦料理名人”の玉城和子さん(80)を訪ねた。目当ては和子さんの作る「ムジヌフテンプラ」(麦の天ぷら)だ。

 「ムジヌフテンプラ」は、小麦の生産地として名高い伊江島の特産。多くの家庭で作られてもいるが、和子さんは、在来小麦「江島神力」の表皮(ふすま)と胚芽を丸ごとひいた全粒粉を使う。「おばあの天ぷらと他の人が作るものとは食感が違う。全粒粉だとパサパサしがちだけれど、生地を一晩寝かせるからか、もっちりしている」と孫の麗乃(かずの)さん(30)は話す。

一晩寝かせた生地を両手で引き伸ばす。スピーディーな手さばきで、どんどん生地を油に投入する玉城和子さん=伊江村

 形は棒状で、見た目も普段の天ぷらとは全く違う。口に入れると、もっちり、もったり。何とも言えない食感。少し遅れて口中に麦の風味が広がる。「おいしい」という言葉を何度もかみしめながら、黙々と3個目を頬張っていると、「次はあんたが揚げてみなさい。料理は作るのが一番。民泊の学生さんたちも喜んでくれるよー」。天ぷらを菜箸で転がしながら和子さんが豪快に笑う。

 和子さんは8歳のころ、島で空襲を経験した。豆腐屋を営む祖母の手伝いをしていた明け方のことだ。寝ていた弟や妹をたたき起こして、壕に隠れてから10分もたたないうちに空襲が始まった。

 今帰仁に避難後、捕虜に。収容所での生活を経て、小学5年で伊江に戻ったが、弟や妹の面倒を見るためにほとんど学校に通えず、13歳で奉公に出された。いわゆる「糸満売り」だ。奉公先はかまぼこ屋だった。「朝早く、拾い車をして那覇までかまぼこを売りに行った。帰ったら、翌日のかまぼこのすり身を作った。朝から晩まで働いたよ」と振り返る。

 「私は難事(なんじ)さー(苦労人)。13歳から20歳まで、人の下でずっと働いてきた。学校も通いたかったけど、下に弟、妹がいて貧しかったから、私が稼がなくてはいけなかった」。サイタサイタ、サクラガサイタ。ヒロイウミ、アオイウミ-。短い学校生活で教わった国語の教科書の一文を口にする。空襲の音を思い出すから、今も花火は怖くて嫌いだと話す。

 20歳で1歳年上の堅栄さん(81)と結婚し、4人の子どもに恵まれた。11年前から、長男の堅徳さん(60)が展開する民泊事業を手伝い、修学旅行生や観光客の民泊を受け入れている。堅徳さんは4年前から、地元農家の協力を得て江島神力の商用生産も始めた。無農薬で化学肥料を使わないと評判を呼び、本島のパン屋や菓子店から注文が入るようになった。

 和子さんはその小麦で料理を作る。修学旅行生たちに振る舞ったり、料理を体験させたり。そんな日常を今は楽しんでいる。「神力は、オリオンビールの原料の一部にもなっているそうだよ。名も広まってうれしいね」。堅徳さんの事業を縁の下で支える和子さんから、笑顔がのぞいた。

文・新垣梨沙

写真・又吉康秀
 

◆王朝時代からの生産地

 伊江島は、琉球王朝時代から続く小麦の一大生産地で、島民の暮らしや文化に深く根付いた作物だ。

 「江島神力」が商用生産されてからは、小麦を使った洋菓子やチップスなどが商品化され、伊江港内の食堂では「麦そば」が味わえる。

 オリオンビールは江島神力を原料にした発泡酒を販売している。

(2016年6月28日付 琉球新報掲載)