沖縄を優しい社会に 宮城由香さん(ピンクドット沖縄共同代表)

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「葛藤を抱える若い世代の力になりたい」と話す宮城由香さん。後ろの絵は自身の作品=宜野湾市

 ピンク色の物を身につけて集うことで性の多様性を認め、尊重することを意思表示するイベント「ピンクドット沖縄」。今年は7月16、17日に那覇市のてんぶす那覇前広場で開かれる。文化人類学者で、ゲイを公にして活動する砂川秀樹さんと共に共同代表の立場で2013年から、ピンクドットを先導してきた宮城由香さん(45)=宜野湾市。この4年間に、レズビアンであることを公にするカミングアウトを経験した。思いの変遷や体験を聞いた。

-ピンクドットに関わったきっかけは?

 「30歳で病を患った。26歳から一緒の同性のパートナーがいるが、緊急入院が必要になっても、パートナーは家族として認められず医者に説明を拒まれた。一生付き合う病気を前に『自分の人生はこれでいいのか』と考えた。絵を描いたり、砂川さんがやっていた沖縄でのLGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーなど性的少数者)の講座や東京のプライドパレードに参加したり、模索が始まった」

 「約5年前、砂川さんが沖縄に帰ってくる時、『何かやるなら手伝いますから』と言った。それが今につながっている。ピンクドットを通して那覇市が開始予定のパートナーシップ制度や企業の賛同を見て『こんなに世の中が動くんだなぁ』と実感する。その動きの中にいることが不思議な感じ」

-自身の性自認や性的指向に気付いたのはいつか。

 「小学校に上がる前から『自分は違う』と思っていた。『女の子なのにスカートをはかない』『自転車遊びばっかり』と言われていた。好きになる対象は小学生の頃から女の子だったと思う」

 「学生の頃は『男になった方が楽なのかな』『男になるべきなのかな』と揺れた時期もあったが、男、女の二つのカテゴリーのどちらかに収まって、男女の役割や不公平で偏ったジェンダー構造に加担することが嫌だった。疎外感を感じなかったのは絵を描いたり、好きなことをやったりしたからだ。『他の人に自分のことは言わない』と決め、生きてきた」

-レズビアンであるカミングアウトよりも、当事者としての活動が先立った。

 「ずっと『自分は自分である』と思い、ゲイやレズビアンというカテゴリーに自分を入れたくなかった。一般の人がレズビアンという言葉に持つイメージが嫌だった」

 「だけど、活動を始めたら自然と表に出る。1回目のピンクドットで取材を受けた後、周りからの反応が意外と何ともなかった。自分の中では、そのインタビューがカミングアウト。その後は曖昧のままではやりたくないと思った。砂川さんは東京での活動の実績もあり、沖縄で立ち上げたピンクドットに対して沖縄の人が『外から持ってきたイベント』と思うんじゃないかと肌感覚で予想し、それは避けたかった。だから私は『レズビアン』という言葉を引き受けた」

 「自分の生きていく環境を自分でどうにかしたい。私は沖縄で生まれ、育っている。身近にLGBTがいるんだと伝えるためには、沖縄社会に埋没していた自分が表に出ることに意味がある」

-その後、周りや自身の変化は実感しているか。

 「通院している病院で『きょうは誰が迎えに来るの?』と聞かれる会話に、同性のパートナーがいることが踏まえられている。気が楽。『共同代表』という肩書が自分の背中を押してもいる。公的機関の窓口などで、19年連れ添っている女性の名前を書いて『パートナーですってば!』と何度も言う(笑)。前は言えなかったから」

-これからの沖縄に対して。

 「人の関係性が強い沖縄社会はLGBTには住みづらい面もあり、出て行く人も多い。イベントに行けない人もいる。この状況を変えられたらもっと楽だと思う。そのために『LGBTの人はこうされたら嫌だよ』ということを知ってほしい。これはきっとLGBTに限ったことじゃない。LGBTを通して『優しい社会』になってほしい」

文・東江亜季子
写真・屋嘉部長将

 

<プロフィル>
 みやぎ・ゆか
 多様な性が尊重される社会を広げる活動をする「レインボーアライアンス沖縄」の共同代表。多様な性を認め、尊重する意思表示を目的としたイベント「ピンクドット沖縄」の共同代表でもある。画家として沖縄の海の生き物をモチーフにした絵を描き、個展も開催。19年連れ添っている同性のパートナーがおり、レズビアンを公にしている。1971年3月生まれ、浦添市出身。

【編集後記】

 取材の際、宮城さんの「あの時、『うーん』と言ってはっきりしなかったでしょ?」との言葉で、一気に3年前に引き戻された。記者2年目のころ、第1回ピンクドット沖縄で、私は宮城さんにLGBT当事者かどうかを問うた。「ピンクドットは自分がLGBT当事者か、アライ(=賛同者)かを明かさなくていいから参加しやすい」と知りながらも、私はその場で宮城さんに告白を迫っていた。「宮城さんの言葉が当事者としての思いなのかを読者に伝えた方がいいのではないか」と悩んだからだ。

 結果的に、その取材が後々、宮城さんのカミングアウトにつながったと今回知り「レズビアンを引き受ける」と話す宮城さんの姿に、安堵(あんど)した自分がいる。少し歯車が合わなければ、嫌な思いをさせる結果になったかもしれない。LGBTの人が堂々と当事者を名乗れる社会、そのためにできる努力はしたい。そう思いを新たにした取材になった。
(東江)

(2016年7月5日付 琉球新報掲載)



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