歩いて見つけた 石獅子探訪記 (その1)那覇市の巻

  • 南部
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【おもろまち】名称=シーシ(場所=沖縄県立博物館・美術館出入り口付近。 獅子の顔が向いている方角=南南東・発見率=100%・危険率=0%)

那覇の石獅子を訪ねてみよう


【安次嶺】名称=不明(場所=那覇空港近く。赤と白の水タンクが目印の赤嶺緑地内にあります。 獅子の顔が向いている方角=北)

石獅子に魅せられて

 このコーナーで紹介するのは、「村落獅子」と呼ばれるシーサーです。古くから、災いを防ぐために村落の出入り口などに設置されていたもので、現在、目にすることの多い、屋根の上の漆喰シーサーや門柱の上に「対」で鎮座している焼き物のシーサーの原型と言われています。

 丈夫な琉球石灰岩で作られた石獅子は、対ではなく、一頭で頑張って(!?)いるものが多いようです。また石獅子に込められた意味も、「フーチゲーシ(邪気払い)」や、「ヒーゲーシ(火伏せ)」など、地域によって異なります。さらに制作者の個性からか、その表情も、険しいものから愛嬌たっぷりのものまでさまざまで、見飽きることがありません。由来をたどると、地域の歴史や人々の思いなど、いろいろな発見があり、往時の暮らしへの想像がかきたてられます。

 手彫りの石獅子の制作を手がけている「スタジオde-jin(デージン)」は、この「村落獅子」に魅せられ、本島各地の石獅子を訪ね歩いています。私たちが会いに行った石獅子を順次、紹介していきたいと思います。


【上間】名称=ミートゥンダシーサー(場所=カンクウカンクウから北東へ約20メートル進んだ道沿い右側。獅子の顔が向いている方角=南東・発見率=90%・危険率=0%)

謎だらけの上泉の石獅子

 那覇市には戦前、12体ほどの石獅子があったといわれています。現存しているのは、上間3体、安次嶺1体、上泉1体の合計5体です。若狭、辻、首里末吉町、垣花、鏡水にもあったようですが、行方が分からず、資料なども残っていません。

 今回は、沖縄県立博物館・美術館の玄関前に安置されている石獅子を紹介します。

 これは、元々、戦前の上泉町(現在の那覇市泉崎)、現在のANAクラウンプラザホテル沖縄ハーバービューの裏手に安置されていた石獅子といわれており、いつ、どういう経緯で上泉から撤去されたのかは不明です。現在、同ホテルの裏手には、身代わりとなる石獅子が置かれていますが、戦前の石獅子の姿をはっきり覚えている人はいないため、沖縄県立博物館・美術館の玄関前に安置されている石獅子が本当に「上泉の石獅子」なのかは定かでありません。


【上間】名称=カンクウカンクウ(へ上り、上間中央公園東側の道沿い右側。獅子の顔が向いている方角=南・発見率=90%・危険率=0% *実は、この獅子との出会いが獅子制作のきっかけとなりました。それはまた後日、紹介します)

 また昔、この石獅子は「シーサーマーチュー」と呼ばれていたそうですが、それは石獅子があったとされている場所の地名である「小字仲里松尾」が元になっているという説や、付近に松林があったからという説があります(沖縄の言葉で松は「マーチュー」)。この場所は当時、「モーアシビナー(遊ぶ庭)」として有名で、付近一帯が「シーサーマーチュー」と呼ばれており、青年たちでにぎわっていたそうです。

 さらに石獅子がにらみを利かせていた方角は、那覇空港近くのガジャンビラ方向という説や、八重瀬岳に向いていたという説などがあり、真相は闇の中です。  昔、安置されていた場所も謎、安置理由も謎、呼ばれ方も謎、なぜ移動されたかも謎、謎々だらけの興味深い石獅子なのです。

 

(2016年1月8日 週刊かふう掲載)



昔はヒーザンと呼ばれる山から、火事などの災いがもたらされると信じられていました。本島南部では、八重瀬岳を火山(ヒーザン)と捉えていた地域もあり、ヒーゲーシ(火伏せ)として獅子の顔をそちらに向けたものも多く見られます

シーサーはシルクロードを経由して沖縄に伝わったとされています



各地に鎮座する村落獅子を訪ね歩き、調査を続ける若山夫妻。石獅子をめぐるレポートを毎月お届けします。

※危険率とは:石獅子は眺めの良い高台にあることが多く、足を滑らせると大けがをする可能性があります。子ども連れの方は細心の注意をしてください!





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