言語は生きる“ツール” 私のポジション(7)

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タムリンソン・マリサさん(読谷村)〈上〉


「昔の自分は言語に翻弄された」と振り返るタムリンソン・マリサさん=2014年12月19日、北谷町内

 「ハーフはいいね、日本語も英語もペラペラ話せて」。これまで、タムリンソン・マリサさん(27)=読谷村出身=が言われてきた言葉だ。マリサさんは言う。「ハーフはバイリンガルじゃないといけないのか」。そして「言語はそう簡単じゃない」と。

 米陸軍兵の父と沖縄出身の母の下にアメリカで生まれた。4歳の時、両親の離婚で母と沖縄に移った。母は「これからは英語」という教育方針で、英語で会話し、マリサさんをアメリカンスクールへ入れた。

 ところが入学後間もなく、マリサさんは「日本の学校に行きたい」と訴えた。「お母さんとおばあちゃんが話す言葉と同じ言葉がしゃべりたい」と思った。「絶対に後悔するよ」と何度も言い聞かせた母の姿を今も覚えている。

 1年の途中で沖縄市立諸見小学校に転校した。「日本語を使えなかったら生きていけなかった」と振り返る。友達ができない。漢字も読めない。毎日泣いて日本語を勉強した。

 それでも周りは多くの場面で「英語」を押し付けた。どこに行っても最初に「英語できるの」と聞かれる。「なぜ英語の話?」と反発した。

 中学生になり、英語のテストで良い点数を取れば周りは「やっぱり。ハーフだからね」と言った。「努力は認められない」と感じた。わざと100点を取らないようにした。

 高校のころ、友達は「留学したい」と将来の希望を口にした。だが、マリサさんが同じことを言えば「ハーフなのに留学したいの?」と返された。英語や留学を「好きでできる周りがうらやましかった」

 3年生になり進路を考えながらも「アメリカ人、それとも日本人?」と悩み続けた。そんなマリサさんを見ていた担任がある日「もう逃げられないから。今向き合うか、本当にスパンと切るか、どっちかにしなさい」と言った。

 言語はアイデンティティーかツール(道具)か―。「昔の自分は言語に翻弄(ほんろう)された」と振り返るマリサさん。今は「ツールだと思う」と言い切る。

 マリサさんを変えたのは担任の言葉が始まりだ。高校卒業後、大学で言語学を学び、大学院修士課程まで“日米ハーフ”を研究する道へ進む。

(東江亜季子)

 「アメリカ系うちなーんちゅ」を名乗る人たちが会を発足させた。ハーフ、ダブル、アメラジアン―。アメリカと沖縄の二つのルーツを持つ人のアイデンティティーはいつも周りに決められ、彼らの居場所や生き方は戦後の社会に翻弄(ほんろう)された。終戦70年を前に彼らの生きた沖縄、彼らの声を聞く。 ※年齢は紙面掲載当時のものです。

 

(2015年1月26日 琉球新報掲載)



私のポジション「沖縄×アメリカ」ルーツを生きる
東江亜季子著 琉球新報社編
新書 111頁

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