錫でかたどる夢 金細工まつ・上原俊展さん

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 浮遊するクブシミの傍らに、尾びれを上げたジュゴンが鎮座する。錫(すず)製の作品でクブシミはクリップケース、ジュゴンはペーパーウェイトだ。錫細工(しるかにぜーく)職人の上原俊展さん(38)=宜野湾市野嵩=が生み出した唯一無二の作品だ。


約100年前に途絶えてしまった琉球錫細工を復興させようと取り組む錫細工(シルカニゼーク)職人の上原俊展さん=宜野湾市野嵩の工房「金細工まつ」

 錫細工は琉球王府時代の16世紀ごろから300年以上、行事や祭祀に用いられてきたが、約100年前に途絶えた。「琉球錫文化の新しい形を提案し、錫細工(しるかにぜーく)と呼ばれた職人の思いを伝えたい」。原型作製から仕上げまで手仕事にこだわり、錫製品の復興に挑んでいる。作品は酒器や皿、箸置きのほか、ピンブローチやペーパーウェイトなど。つややかな光沢に重厚な質感が魅力のひとつ。

 資料がないため伝統的な作り方は定かではないが、沖縄の風土から推察し、沖縄の砂やクチャを混ぜ合わせて型を作っている。ビンシー(錫瓶)の工程は、現存の琉球錫器を基に作図する。四つの部材に分けて作製。外型の中心に挽型板を据え、挽き回しながら砂と粘土を混ぜたもので鋳型を成形する。乾燥させて型焼きを手掛け、そこへ溶かした錫を流し込む。ろくろで削り、その後各部材を接合する。最後にへらなどで表面を仕上げる。


錫独特の輝きと、つややかな光沢が特徴。凜とした上品な雰囲気が魅力の錫細工

 錫製ジュゴンや鯨、チンアナゴなどは、粘土などで原型を製作。シリコーンや砂などで原型を型取りする。その型に錫を流し込み、粗削りをした後、へらなどで表面を磨いて仕上げる。錫が溶けた液体「湯」の冷え固まる時間は早い。流し込む温度と量が作品の質を左右し、腕の見せ所という。海洋生物の形を彫り込んだシリコーン型は精巧な造り。生物の資料と映像を参考に構想を練った。

 上原さんは神奈川県相模原市で生まれ育った。祖父母が沖縄出身で、家庭の台所には火の神が置かれ、沖縄の伝統文化が身近にあった。幼少時代の原風景は祖父の膝の上だ。「毎晩のように、歯ブラシをしてくれたんですよ」と話す。

 美術系の大学で鋳金を中心に金工を学び、伝統工芸・高岡銅器の現場で10年間勤務した。転機は2013年。沖縄で鍋を作る職人が、工場を閉じると聞き、戦後を支えた職人の減少に心を揺さぶられた。金細工の歴史をたどる中、忘れ去られていた錫細工に思いを寄せた。「消えていく手仕事を何とか取り戻したい」。製作所を退職して沖縄に移住し15年6月、工房を開いた。「金細工まつ」は、祖父の名前「松」から取った。目指すのは琉球錫文化の復元と、錫のある新しい生活空間の提案。確かな技術と情熱で、夢を形にする。

文・高江洲洋子
写真・具志堅千恵子



~ 作業場から ~


(左から)県産の砂やクチャを素材に作った鋳型 錫の塊を鍋に入れ、火にかけて溶かす 「湯」と呼ばれる液体の錫をシリコン型に流し込む 流し込んだ錫が固まり、鋳型から取り出す


《道具箱》300年続いた琉球錫文化

 琉球王府時代の16世紀後半ごろに錫細工を扱う職人がいたことが、「球陽」など文献資料に記されている。錫器や錫細工は行事や祭祀道具として生産された。錫細工職人は、ほかの金細工職人とともに王府が管理していた。大交易時代、錫の原料はマラッカ(現在のマレー半島辺り)や薩摩から仕入れた。

 琉球の錫文化は300年以上続いたと言われているが、琉球王府の消滅、戦争による金属需要の高まりに伴う材料不足で錫細工は衰退した。沖縄戦後、壺屋焼などの伝統工芸の復興が進んだのに対し、錫細工は手付かずで、途絶状態となっている。


(2016年9月20日 琉球新報掲載)



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