歩いて見つけた 石獅子探訪記(その12) うるま市〈1〉

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 うるま市は、平成17年に具志川市、石川市、与那城町、勝連町が新設合併してできた市です。そんなうるま市には9体の屋敷獅子を含め立派な石獅子が現存しています。制作年数や作者はバラバラのようですが、それぞれの石獅子に物語や由来話が残っているのが特徴です。うるま市は数が多いので、今回は本島にある石獅子を紹介したいと思います。離島は次月に紹介しますね~。


ラジオの呼びかけで見つかった高江洲の石獅子


【旧:具志川市高江洲の石獅子】●石獅子の顔が向いている方向:ほぼ南 ●発見率:30% ●危険率:60% ★県道16号線を東へ、スクールサイド高江洲アパートの隣に安置されています。草が茂っていると、ほぼわからないのでご注意を!

 40年前に魔除け獅子を調査されている方が、ラジオで「他にも獅子の所在を知っている方がいらしたら連絡をください」と呼びかけたところ、すぐに高齢の男性が連絡をくれ、見つかった石獅子なのです。

 今は県道16号線を東へ髙江洲小学校のそばに安置されています。集落の東側にあり、かつては北東の喜屋武城の方向へ向いていたといいます。

 喜屋武城は標高104mあり、長らく勝連城の烽火台として伝命を受けノロシ(火急の際の合図に薪をたき、相手に知らせる煙)をあげてきました。

 そのため、度々飛び火があり、火返しのために獅子を安置したのではないかということです。

 ほぼ自然石ですが、太い力強い手を地面に付き身を乗り出し、口を開けているように見えますね。


南風原のシャクレ獅子


【旧:勝連町南風原 北の石獅子】●石獅子の顔が向いている方向:北西 ●発見率:30% ●危険率:0% ★集落の北側の小道にあり、説明版もついていますが草が茂っていることが多く、見逃しやすいです。私たちは密かに愛情を込めて「アイーン獅子」と呼んでいます。

 うるま市勝連南風原は、もともと勝連城跡のふもとの小字元島原に所在していましたが、尚敬王代の1726年に現在地に移動しました。

 南風原文化史によると、戦前は4体の石獅子が東西南北と勝連城を向いていたといいます。現在は、残念ながら北の石獅子しか残っていません。

 南の獅子は人が乗って遊べるほどの大きさだったという証言もあり、4つ足の獅子だったのではないかと思います。

 また、集落北側にある「あしびなー」という慰霊碑の右奥に20年前まで石獅子があったと80代の女性が証言していますが、東西南のどの獅子かは謎のままです。

 この獅子は、北の石獅子で底辺が不安定なため、木にもたれるように安置されています。落ち葉や地面の色に同化していてスルーしてしまいがちですのでご注意を! 石の質も顔の作りも今一つですが下顎のシャクレ度が見事です。多分、県内で一番のシャクレ具合ですね~。


謎の、おっかないウルトラマン獅子?


 集落西側にある石獅子です。私たちは始め、西の石獅子がこの場所に移動してきたものだと思っていましたが、屋敷獅子という方もいて、まだ真相にたどり着けていません。西の獅子は南風原の生き字引といわれる80歳近くになる女性に話を聞くことができました。

 「戦時中はね、南風原は北部や南部からの避難場所になっていて、たくさんの人が集まっていたわけ。この石獅子は特に子どもたちに有名で、大人たちが『夜になると、踊りだすよ! 早く寝なさいよ~』と言って子どもたちを驚かせたんだよ~。怖かったさ~」と話されていました。

 確かに、ウルトラマンの様に目は吊り上り、鼻穴が大きく迫力があり、若干、北の石獅子と類似していますが、この石獅子はまだ村落獅子か屋敷獅子かまだハッキリしておらず、またちゃんとした聞き取りができたらお伝えしますね~!


【旧:勝連町南風原 西??の石獅子】●石獅子の顔が向いている方向:北東 ●発見率:5% ●危険率:20% ★県道16号線を東へ南風原自動車整備工場手前の路地左側奥にあります。この獅子が見つけることができたあなたは石獅子マスター!!!石獅子を探し続けるとだんだん鼻が利くようになってきますよ! これ本当!


(2016年12月2日  週刊かふう 掲載)




 各地に鎮座する村落獅子を訪ね歩き、調査を続ける若山夫妻。石獅子をめぐるレポートを毎月お届けします。

※危険率とは:石獅子は眺めの良い高台にあることが多く、足を滑らせると大けがをする可能性があります。子ども連れの方は細心の注意をしてください!





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