グスク時代 思いはせ 勝連城跡

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 寒くなり始めた2016年12月中旬。うるま市史跡ガイドの会が主催する世界遺産勝連城跡の案内ツアーに参加した。勝連南風原区の標高約100メートル前後に高くそびえる勝連城跡からは、太平洋や金武湾、勝連半島などが一望できる。小高い丘にそびえ立つ城には、当時の人びとの生活やグスク(城)時代を生き抜いてきた城の特徴など、想像をかき立てるようなロマンが詰まっている。


西日が城壁の輪郭をくっきりと映し出す。世界遺産「勝連城跡」を案内するうるま市史跡ガイドの会の新屋和子さん(右)とツアー参加者=うるま市の勝連城跡

防塞の城


勝連城跡を散策しながらガイドの説明を受ける参加者

 「勝連城は12~13世紀に築城され、防御の工夫がいろいろな所にあります」

 案内役を務める市史跡ガイドの会の新屋和子さんが、急勾配の坂を上りながら参加者に説明する。

 三山時代の始まりとも言われるグスク時代に建てられた勝連城は、敵陣の左側に城壁がそびえ立っており、攻撃を受けても、敵陣の機動力をそぐ構造になっている。「攻められた際に、敵陣に攻撃態勢を取りづらくするためだ」と話す。参加者らは「なるほど」と驚きの声を上げた。当時の様子を頭に思い浮かべているようだった。

 青々とした芝生に西日が差し込み心地よい風が吹き付ける中、最初に案内してくれたのは「門口のカー(泉)」。見落としてしまいそうな、案内路の脇にある泉だ。

 新屋さんは丁寧に説明する。勝連城跡には、琉球石灰岩が使われている。石灰岩には「スポンジのように水を含む特徴がある。勝連城跡内には、石灰岩などのおかげで井戸が豊富にあった」と井戸のふちをのぞき込み、歩みを進めた。

360度の絶景


勝連城跡の高台から海の向こうに望む海中道路と平安座島(左)や浜比嘉島

 城跡内で最も高い場所にある「一の曲輪(くるわ)」。曲輪へ続く階段も、幅が狭く造られ敵の侵入を防ぐ工夫が施されている。

 うるま市街の景色を背に階段を上ると、見渡す限り絶景が広がる。頂上にそびえ立つ曲輪には芝が広がり、家族連れの外国人観光客らが気持ち良さそうに寝っ転がって写真撮影をしていた。海からの冷たい風にも負けず、みな笑顔を浮かべている。

 新屋さんは「毎年元日には、初日の出を見ようと、たくさんの人が一の曲輪目指して行列をつくりますよ」と柔らかい表情を浮かべる。

 眼下に中城湾港を見下ろすことができ、物流の拠点を担っていることがうかがえる。勝連の最後の按司、阿麻和利が繁栄を築いた大貿易時代などが思い起こされる。

 いにしえの人びとの暮らしや社会情勢、経済活動など、時代の変遷がそこからは見えるような気がした。

文・上江洲真梨子
写真・諸見里真利


城跡内のウミチムン(火の神)

勝連城跡休憩所に設けられた、10代目城主・阿麻和利と妻・百十踏場(ももとふみあがり)のセット

勝連城跡から出土した貿易時代の名残とみられるローマ帝国時代のコイン


~ なかゆくい ~ 今に残る「縁結びの泉」 ガイドの会の新屋和子さん


男女の出会いの場だったとされる「ミートゥガー」を説明する市史跡ガイドの会の新屋和子さん(右)

 勝連城跡内にある泉の中でも、一風変わった泉が「ミートゥガー」。「縁結びの泉」との伝説があり、男女がひそかに会う場所であったと言われている。当時、水くみは若者の仕事だった。さらに、女性の行動が規制されていた中でも「水くみ」を理由に、外出が許可されていたとみられる。

 「出会いの場」と伝説がある一方で、「この泉のそばで恋をしてはならない」という言い伝えもある。うるま市史跡ガイドの会の新屋和子さんは「ここで結ばれた男女が別れてしまうと、どちらか一方が不幸に見舞われるという話もあります」と説明する。

 城跡内の泉は、用途によって使うことのできる階級が限られていたとみられている。ミートゥガーは「位の高い人が使っていたと言われる」と新屋さんは紹介する。階級を超えた恋が当時、泉の下で生まれたのかと想像は膨らむばかりだ。




― てくてくガイド ―

うるま市史跡ガイドの会は、勝連城の歴史や当時の文化などを紹介して歩くツアーを開催している。1週間前までの予約が必要で、参加人数に応じて料金が異なる。勝連城跡内のサイトから案内人の予約ができる。問い合わせは(電話)098(978)7373。

 



(2017年1月10日 琉球新報掲載)



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