先人の知恵、次代に アダン葉帽子・糸数弓子さん

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 沖縄の海岸に生え、南国らしい風景を生み出すアダンの木。かつてその葉や代替品のこよりを使って帽子が編まれ、県経済を支えていた。宜野湾市に工房「ori to ami」を構える糸数弓子さん(39)は今ではほとんどいなくなってしまったアダン葉帽子の作り手だ。


アダン葉帽子作りの技術を後世に残したいと語る糸数弓子さん。「後継者を育てたい」と笑顔を見せた=宜野湾市野嵩の工房

 糸数さんは2011年、ある経営者の講習会でアダン葉帽子の存在を知った。幼いころから物作りが好きで「自分も編めるようになりたい」と関心を持った。本などで調べていると、祖母がボーシクマー(帽子職人)だったことを母が教えてくれた。祖父が亡くなった時、愛用の帽子をひつぎに入れたことは糸数さんの記憶に強く残っていた。その帽子も祖母が祖父に贈った物だったのだ。

 アダン葉帽子を紹介していた経営者のつてを頼り、製作技術を受け継いでいた伊江島の大城ナツさんを知った。名前だけを手掛かりに島を訪ね、半年通って技術を習得した。「本では分からない知恵を学べた」と感謝する。

 昔ながらのアダン葉帽子はスクエアハットや丸い頭の物が主流だ。糸数さんは形にこだわり、中折れ帽なども作っている。今関心を寄せているのは材料だ。アダンだけでなくゲットウ(月桃)の茎などを試したいという。「ゲットウは虫よけ効果もある。沖縄にある素材で作っていきたい」と話す。工房は読谷山花織の修行をした姉の下屋敷真由美さん(46)と運営している。姉の織ったリボンで帽子を飾ることもある。


糸数弓子さんが制作したアダン葉帽子。全てオーダーメードで仕上げる

 デイサービスの仕事をしながら、オーダーメードで年に5個ほど帽子を作っている。子どもが寝た後、午前2時まで作業することもあるが、翌朝は早起きして弁当を作る。「子どもの部活の応援も好き。大変だけど、好きなことができてぜいたく」とほほ笑む。

 今後は少しずつ帽子作りに本腰を入れたいと考えている。「帽子作りである程度生活できないと技を残していけない。生活できるようになり、後継者を育てていきたい」。昨年は伊江村教育委員会の講座で帽子作りを教えた。作り方を教えてほしいという要望は多く、来年度は他でも講座を開きたいと考えている。

 「日本の他の地域には地元の材料を使い、一から地元で作っている帽子はない。アダン葉帽子は葉っぱさえあれば糸を1本も使わずに作れる。先人の知恵を残していきたい」

 問い合わせはyumiko.itokazu@gmail.com

文・伊佐尚記
写真・大城直也



~ 作業場から ~


(左から)葉のとげを取り、裂く。鍋で煮た後、シークヮーサーの実を入れた水に漬けて脱色する 葉を天日干し、室内干しした後、水で戻す。「タコのチブル」という形に編む 帽子の頭(上部)を作る。糸数さんは葉が生み出すこの自然な模様が好きだという 胴(側面)を編む。その後、縁(つば)を編む。一つの帽子に350~500本ほどの葉を使う


《道具箱》戦前は欧米に輸出

 アダン葉帽子は「沖縄パナマ帽」「琉球パナマ帽」とも呼ばれ、戦前の沖縄では砂糖や泡盛と共に県内産業の重要な地位を占めた。京浜、阪神の貿易商を経て欧米に輸出され、沖縄で唯一の世界的商品だった。

 寄留商人の片山徳次郎が1903年に帽子製造場を設立したことに始まり、その後業者が急増した。12年には谷村商会がアダン葉に代わる安価なこより原料を開発し、主流となった。

 米国が琉球パナマ帽の輸入禁止を一時打ち出した18年には約9万人が帽子製造業で働いていた。主に女性の内職として行われたが、男性が働くこともあった。


(2017年1月17日 琉球新報掲載)



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