沖縄の「石獅子」に魅せられて 若山大地さん・恵里さん夫妻


社会
沖縄の「石獅子」に魅せられて 若山大地さん・恵里さん夫妻
この記事を書いた人 佐藤 ひろこ

 琉球石灰岩のごつごつした岩肌に、印象的な目鼻立ち。時にこわもてだったり、ユーモラスな表情だったり…。そんな「石獅子」に魅せられた2人がいます。那覇市で「スタジオde-jin」を主宰する若山大地さん・恵里さん夫妻。ひっそりとたたずむ県内各地の石獅子を訪ね歩き、その魅力を発信しながら、オリジナルの石獅子を制作・販売しています。「石獅子は偉そうじゃないんです。そこがいい。ウチナーンチュのたくましさやおおらかさも見えてきます。面白いですよ~」と大地さん。言葉の端々に石獅子、そして琉球石灰岩への愛があふれています。   

 (※2月12日開催のワークショップ「My石獅子を作ろう!」のお知らせはこちら

沖縄の「石獅子」を調査・発信しながら、オリジナル石獅子の制作・販売をしている若山大地さん(右)と恵里さん夫妻=2017年1月、那覇市の赤嶺緑地内にある「安次嶺」の石獅子と共に

村人の、村人による、村人のための造形物

若山大地さんが「石獅子」に向き合うきっかけとなった「カンクウカンクウ」=那覇市上間(スタジオde-jin提供)

 沖縄と言えばシーサーが有名ですが、「石獅子」はその原型とも言われています。もともとはムラの入り口などに、災いを防ぐために設置されていたそうです。そんな「村落石獅子」と大地さんの出会いは2009年、沖縄県立芸術大学・大学院を卒業し、非常勤講師として生計を立てながらも、その後の生き方を模索しているさなかのことでした。

 「村落シーサーって知ってる?」。同級生だった琉球張り子作家の豊永盛人さんの一言に導かれ、那覇市上間にある石獅子「カンクウカンクウ」を初めて訪れた大地さん。もともと石彫を専攻していたこともあり、石で造られた建造物は見慣れていたはずなのに、あらためて間近で向き合ったその石獅子の存在感と迫力に、大きな衝撃を受けたそうです。

 「テクニックじゃない、押し売りではない、村人たちが自分たちの必要に駆られてつくられたもの。現存する石の造形物で、これだけ迫力があるものは見たことがない」

「じわりじわり」 夫婦ではまる

時には子どもたちも連れて石獅子調査を続けている若山夫妻(スタジオde-jin提供)

 その魅力に引き込まれた大地さんはその後、妻の恵里さんを説得し、各地の石獅子を訪ね歩くように。

 「最初は全く興味なかったですね~」と笑う恵里さん。ところが、どこにあるか分からない石獅子を探し当て、石獅子との出会いを重ねるうちに、恵里さん持ち前の好奇心と探究心がむくむくと顔をのぞかせ、「じわりじわり」と石獅子の世界にのめり込んでいったそうです。

 2016年1月からは琉球新報の副読紙「週刊かふう」で、連載「歩いて見つけた 石獅子探訪記」が始まり、主に執筆を担当するようになった恵里さん。今や調査・執筆は主に恵里さんの役目となり、確認した石獅子の数は、なんと恵里さんが大地さんを上回るまでに。見事に石獅子の世界にのめり込んでしまいました。

人それぞれの“石獅子ストーリー”

 2人が石獅子調査を始めて約7年。これまでに合わせて120体ほどを確認したそうです。大地さんは「造形の一つ一つに感動するし、今、置かれ続けていること自体も興味深いんです。あるはずの場所に見つからなかったり、思わぬ所に置かれていたり…。調査していると、石獅子をめぐる人間模様まで見えてくるんです」と声を弾ませます。

 恵里さんは「人それぞれに石獅子ストーリーがあるんです。人によって全然違う話が出てくることもある」と笑いながら、「でも、いろいろと聞いていくうちに、時代背景がつながったり、点と点だった情報がつながったりする、その感じが面白い」と力を込めます。

 「逆に、伝説って簡単にできるんだなぁと、びっくりさせられることもありますよ。明らかに戦後に造られたものなのに、戦前からあったことになっているとかね」と笑う大地さん。その謎はまだまだ尽きないようです。

「琉球石灰岩は沖縄そのもの」

琉球石灰岩に向き合い、石の「目」を探しながら石獅子をつくりあげる若山大地さん=2017年1月

 大地さんは愛知県で育ちましたが、母親が大宜味村出身だったこともあり、幼いころから幾度も来沖しながら、中学のころには既に「将来は沖縄に住む」と決めていたそうです。子どもながらに沖縄の風景や、目に映る色や光が好きだったという大地さん。その理由を自分なりに考え、たどり着いた答えが「琉球石灰岩」でした。

 「沖縄をつくりだしているのは琉球石灰岩。もともとサンゴだった琉球石灰岩は沖縄そのもの。沖縄の城と、本土の城の印象が全然違うのは、この石でできているからだ」。そんな「琉球石灰岩」への想いが、「石獅子」へとつながっっていったのは、必然でもあり、運命だったのかもしれません。

 大学時代には何トンもの大きな石に対峙し、長い時間をかけて1つの作品を造っていた大地さん。上間の石獅子との出会いを機に、「これからは大きくて高級な美術品ではなく、沖縄の大地を少しお借りしながら、誰もが手元に置ける作品をつくりたい」と思うように。そして、2011年には「スタジオde-jin」を立ち上げ、世界に一つしかないオリジナル石獅子を始め、琉球石灰岩を素材にしたものづくりを本格的に始めました。

 「琉球石灰岩は不均衡だからこそ表情もいろいろ。木と同じように、石にも“目”があって、石と向き合いながら、その表情を見つけていくんです」

昔と今、今と未来をつなぐ「石獅子」

 「琉球石灰岩は昔は開墾する時にごろごろ出てきただろうし、庶民が扱うことを比較的許された素材だったと思うんです。それを神さまにまで高めたところにも、ウチナーンチュのたくましさを感じるんです」。石獅子、そして、琉球石灰岩のことを語り始めると、大地さんの話は尽きることがありません。

若山大地さんが手掛けたオリジナルの石獅子たち。それぞれの表情が違ってて愛くるしい

 オリジナル石獅子の制作・販売が大地さんの主な仕事ですが、最近では年に何度か、オリジナル石獅子を一緒につくるワークショップも開催しています。

 「石とノミとハンマーという最低限の道具でモノをつくれる喜び、その人の“手跡”を残せる喜びを感じてほしい。当たり前だけど、石は僕たちより長生き。200年前に行くことはできなくても、200年前につくられた石獅子を見て、先人の営みを想像することができる。逆に、僕らが今つくるものを、200年後の人が見て何か感じてくれるかもしれない」と熱っぽく語り続ける大地さん。

 恵里さんは「石獅子はもともとが自由につくられています。目と鼻と口さえあればオッケー、ぐらいの感覚で、石の形に合わせて、自由につくってほしいです」と楽しそうに話してくれました。

スタジオde-jinの若山大地さん・恵里さん夫妻

【プロフィル】

若山大地(わかやま・だいち) 1976年沖縄生まれ、愛知育ち。2003年沖縄県立芸術大学大学院彫刻専修終了。2001年に「スタジオde-jin」を立ち上げました。沖縄が好きで、沖縄で採れる琉球石灰岩を素材にしたものづくりをしています。

若山恵里(わかやま・えり) 1979年、雪深い滋賀県生まれ。沖縄県立芸術大学彫刻専攻卒業。その後、2人の男の子を出産し、外回りの仕事をしながら石獅子の調査もやっちゃうスペシャルウーマン!

◆この記事を書いた人

 佐藤ひろこ(さとう・ひろこ) 琉球新報Style編集部。北部支社報道部、社会部、NIE推進室、文化部などを経験し、特に子どもを取り巻く諸問題に関心を持って取材してきました。大阪府出身。小6、小3、3歳の子育て中。目下、「働き方」「生き方」の見直しに挑戦中です。