「裸足で逃げる」著者・上間陽子さん(琉大教授)に聞く〈3〉殴ることは「愛」じゃない 子どもの心に残る言葉探して

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暴力、次の種まき

インタビュー 第二回『沖縄に堆積する「自己責任」』はこちら

〈翼の中学校時代の担任教諭は、常に翼のことを気に掛けて話を聞いた。家に大人がいないことを知っていた養護教諭は、保健室で朝ご飯を食べさせてから教室に行くよう面倒を見てくれた〉


著者の上間陽子さん。「暴力は間違いなく、ある種の子たちには効きますが、次の暴力の種まきをしてしまっています。殴る男、殴る女になっていて、殴ることは愛だと勘違いするようになってしまっている。 だから暴力を禁じ手にしないといけないと思います」

-学校で熱心に面倒を見る先生たちに出会う少女もいました。でも「お前たちのことは見捨てない」と言いながら、その一方で先生たちは生徒たちを殴っていましたね。

 ヤンキーの子たち、暴力に小さい頃からさらされている子って、たしかに暴力が効くんですよ。あるいは暴力しか効かない。

 「すごく大事にしているよ」というメッセージを言葉で伝えて、じんわりじんわりと分かっていくというよりも「すごく大切で大好きだよ。なんで分かってくれないのか、こんなに怒らして」と言い、殴る方が分かりやすいと言えば分かりやすい。だから効いてしまうと思います。

 鑑別所に一緒に付き添う熱血の先生もいますが、でもやっぱり殴るんですよ。

 私は「先生に殴られた生徒たちは、今度は女殴るよ。先生が愛していて殴るから。愛していたら殴っていいよって思っちゃうよ」と思っています。

 暴力は間違いなく、ある種の子たちには効きますが、次の暴力の種まきをしてしまっています。殴る男、殴る女になっていて、殴ることは愛だと勘違いするようになってしまっている。

 だから暴力を禁じ手にしないといけないと思います。

 すごく殴られてきた子たちは、殴られ慣れているので、殴られるのはイヤだってみんな言わないんです。

 だって、それよりひどい仕打ちも生活の中で受けて育っているのだから。その生活の中では暴力を受けたことなんて「相対的にやや増し」ぐらいな体験になってしまっていることがあります。だけど、暴力を禁じ手にするのならば、残っているのはやっぱり言葉なのかな、と思っています。
 


沖縄の繁華街。スーツ姿の男性が行き交う(写真はイメージです)

 京香さんたちの先生は、彼女たちグループの女の子の生育歴を熱心に聞き、学校に居場所をつくったんですよね。この子たちは、その先生からもらった離任式にもらった手紙の文面をいまだに覚えています。

 「『あんたたち見て教師になりたくない、学校の先生辞めちゃおうと思ったけど、ずっとずっとつきあってたら、こんなこと考えてたんだなって分かって大好きになった。ずっと先生続けていきたいと思っている。ありがとう』って書かれてた」ってことを言うんですよ。数年前にもらった手紙の言葉を。

 子どもの心に残る言葉を探すためには、その子の事を知らないと探してあげられない。簡単な営みではない。でもやっぱり探してあげられないといけないと思っています。

 教師とか、現場の実践は、「言葉」の職業だと思っています。それしかないんだと思っています。



 うえま・ようこ 1972年沖縄県生まれ。琉球大学教育学部研究科教授。専攻は教育学、生活指導の観点から、主に非行少年少女の問題を研究。1990年代後半から2014年にかけて東京で、以降は沖縄で未成年の少女たちの調査・支援に携わる。共著に「若者と貧困」(明石書店)。本書が初めての単著となる。



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