包丁は危ない? やんばるからの手紙(42)

  • 北部
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3人きょうだいの末っ子。ひょうきん者、お調子者です

 わが家の2歳児の次女は、包丁で遊ぶのが好きだ。シンク下の扉を開けると、何本かの包丁が入っている。文化包丁、ペティナイフ、パン切り包丁、菜切り包丁、そして子ども用の包丁。子ども用は柄が黄色で先端が丸くなっている。とはいえ切れ味は定期的に研いでいるのでお墨付きだ。

 次女はかごからおもむろに野菜を取り出して、小さなまな板を床に置き、シンクの扉を開ける。ここで、「包丁使ってもいい?」というようなまなざしをこちらに向ける。ものによっては「ちょっと待った!」とブレーキをかける。例えば、固いジャガイモや滑りやすいナスなどはちょっと切りづらいから、トマトやキュウリといった比較的切りやすいものに変える。

 次女は床にペタンと座って、そおっと野菜に刃をおとす。はたから見れば、限りなく「危ない行為」だろう。実際、薄く指を切って血がにじんだこともあった。そんなこともあって、実に真剣な顔つきで「これでもか」と挑む姿を見ていると、下手に止めさせることはできないなぁと思う。夫が見たら「危ないじゃないか!なんで止めないの!」となるだろう。その気持ちもよく分かるけれど、事実、彼女は以前よりずっと上手に包丁を使いこなせるようになっているのだ。

 ブラジルのアマゾン奥に住む少数民族「ピダハン」の暮らしを本で読んだ。ここではたとえ狩猟の際に使う刃物を赤ん坊が振り回していても、それを母親を含め、周りの大人は一向に取り上げない。そこには命に対するピダハンなりの哲学があり、あえて比較すると、親の保護の範囲が日本よりずっとずっと狭いように思える。それを狭いと呼ぶか、厳選と呼ぶかは自由として、ギリギリまで子どもの本能にゆだねるやり方は、例えば公園などで「危ない」を連呼している大人とは対照的なものがあるだろう。

 子どもが能動的にやりたいことがあるとする。そこで、それに伴うだけの体感を持っているかを見極めること。むしろ、そこが面白い部分だと感じる。いや、子どもに刃物を与えることを推奨しているのではない。しかし包丁の代わりにおもちゃの木のナイフを与えても、すーっと切れるという不思議に惹(ひ)かれてこの手に持ってみたいと感じたのに、全く切れないとはちょっとした悲劇である。

 というようなことを夫に話すと、「じゃ、万が一のことがあったらどうするの?」と問い詰められた。さて、どうしようか。

(元フードコーディネーター)
(2017年5月9日 琉球新報掲載)



根本きこさん

根本きこ(ねもと・きこ)

  1974年生まれ。2003年逗子市に「coya」を開業。カフェブームの先駆けに。東日本大震災を機に2011年3月閉店し、沖縄県東村に夫と子ども2人で移住。現在は名護市に暮らす。2013年4月から琉球新報でコラム「やんばるからの手紙」を好評連載中。雑誌にエッセーを連載、著書「島りょうり 島くらし」「おとな時間」など多数ある。




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